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安政元年(1854年)11月4日に安政東海地震、翌5日に安政南海地震が起き、伊豆から四国までの広範な地帯に死者数千名、倒壊家屋3万軒以上という被害をもたらした。
いち早く危険を知らせて津波から村人を救った「稲むらの火」の逸話はこのときのものである。この話は人命の大切さと献身的な救命活動を今日に伝えており、後日の堤防建設を含む村の復興活動とともに、不朽の防災教材となっている。
内閣府「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書(平成17年3月)」(別ウィンドウが開きます)
海洋プレートの沈み込みに伴い発生したマグニチュード7.9の地震で、震度6弱相当以上となった範囲は、三重県から静岡県の御前崎までの沿岸域の一部にまで及び、津波は伊豆半島から紀伊半島までを襲った。
授業・勤務時間帯に重なったこともあり、学校や軍需工場等を中心に死者1,223人の被害が発生した。その37日後、1945(昭和20)年1月13日午前3時に内陸直下型の三河地震が発生し、死者は2,306人に達した。
内閣府「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書(平成19年3月)」(別ウィンドウが開きます)
台風第8号の影響により猛烈な豪雨が県内を襲った。広範囲に降り注いだ雨は、県内各地で河川の氾濫や決壊、土砂災害を引き起こし、その被害は床上浸水が26452棟、床下浸水が54092棟、死者44人、負傷者241人という甚大なものだった。一晩で508ミリの降雨量を記録した静岡市内では、安倍川流域や巴川流域を中心に特に大きな被害が出た。
浜松市では、急激な増水により都田川が決壊し、浜名区細江町付近では、川沿いにあった多くの住宅が浸水した。
大型の台風24号が日本列島を北上した9月30日夜から10月6日にかけ、浜松市を中心に東海地方は大規模な停電に見舞われた。想定を上回る強風の直撃や塩害により、電力設備の損傷が静岡県内の各地で相次いだ。
静岡県内ではピーク時に2千基の交通信号機が点灯できなくなり、信号停止が原因と考えられる交通事故が計87件起きた。水をくみ上げるポンプが停電で動かなくなったことで、断水も9市町で起きた。買いだめと物流の停滞で商品が品薄状態になり、閉店するスーパーやコンビニエンスストアも多く、開いている店舗でもレジが使えず電卓で会計をする光景があちこちで見られた。
浜松市内では、公立小中学校の4割以上が休校するなど、市民生活は大きな打撃を受けた。
経済産業省 台風24号による被害状況(中部電力株式会社)(別ウィンドウが開きます)
静岡県では猛烈な雨が降り続き、記録的短時間大雨情報を多数発表した。また、複数の地点で24時間降水量が400ミリを超えて平年の9月の1か月の降水量を上回り、観測史上1位の値を更新した。
この大雨により、静岡県を中心に土砂災害や浸水害、河川の氾濫が発生し、人的被害や住家被害があったほか、停電や断水等ライフラインへの被害や鉄道の運休等の交通障害が発生した。
浜松市天竜区緑恵台では、2022年9月24日未明、土砂崩れが発生し、住宅3軒が被害を受け、住民3人が負傷した。