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更新日:2021年11月30日
岐佐神社の神輿
舞阪町内にある岐佐神社は、延喜式神名帳に記載された由緒ある神社で、明応7年(1498)に起きた明応地震以後に現在の場所に祀られるようになりました。
この神社の祭礼は大太鼓まつりとして広く世間に知られています。
祭礼時に使用される神輿は文政4年(1821年)に製作されたもの(台座は後世のもの、上部も一部補修あり)で、平成13年に舞阪町、平成19年に浜松市の文化財に指定されました。
通常時は舞阪郷土資料館(舞阪図書館内)に展示されています。
ご興味のある方は見学してみてください。
岐佐神社の神輿台座(初代)
岐佐神社の神輿の製作された当時の台座です。
向かって左上に「文政4年」の年号が記載してあることが確認できます。
なお、こちらの台座は一般公開はされていません。
北雁木(きたがんげ)
浜名湖口(今切)は東西交通を結ぶ要所であり、軍事的・政治的な理由で架橋されず、舞阪と新居の往来は渡し船によりました。
舞阪側の渡船場は3か所設けられ、北から北雁木・本雁木・渡荷場と呼ばれていました。
雁木とは階段状になっている構造物のことで、この場合は渡船場の階段を指します。
北雁木は階段状ではなくスロープ状に石が敷かれていますが、元々スロープ状であったのか、現在までに改修が行われたのかは不明です。
舞阪町内では「がんげ」と発音しています。
渡船場の築造工事は新居宿松山を開発した野口甚五郎が請け負い、寛文元年(1661)に完成しました。
このうち北雁木は当時から現存する(石垣部分等一部補修あり)貴重なものです。
(「舞阪町歴史散歩」より一部抜粋)