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更新日:2013年9月1日

積荷と入札

難破した時の積荷はケヤキの角材でした。海岸に漂着した角材は売り主に返却されています。船から引き揚げられた物は多く、キャプスタンと呼ばれる船具や海図、気圧計や気温計、帆布、望遠鏡、家具類、食器類などでした。これらは入札にかけられ、横浜の商人と掛塚湊の林文吉の手に渡っています。船体に腐食防止のために張られていた銅板も回収され、同じく横浜の商人と掛塚湊の林文吉が買い取っています。ただし、引き揚げられたリストの中に碇はありませんでした。

積荷はケヤキの角材

古文書には以下のように書かれています。
引渡し申す一札

―省略―
右船荷物共入札に相成り、金子取引相済み候により、槻角売主倉橋兵治郎・安田屋友吉、右両人方へ引渡し申し候上は向後勝手次第に取揚げ成らるべく申し候、
後日の為、一札件の如し
明次八年十月九日
浜松宿
倉橋兵治郎殿
安田屋友吉殿


売主である倉橋兵治郎と安田屋友吉に引渡しています。槻はケヤキのこと。角とあるので、ケヤキの角材だと分かります。数量の記録はないものの、西島村に漂着したケヤキは「長弐間半壱尺五寸角」と「長弐間半壱尺角」とあり、長さ約3.6m、15cmの角材と、長さ約3.6m、30cmの角材だったことが分かります。

船から引き揚げられた物

古文書には船から引き上げ横浜へ送った荷物リストもあります。

  • 巻揚道具(キャプスタンと呼ばれるロープを巻き取る道具)大小4つ
  • 諸品の箱が43個
  • 本の箱が34個
  • 地図・海図6枚

また、古文書に以下のような荷物リストの記録があります。
磁器の食器類40、台所用品12、コンパス大小5、米箱と米が少し、つるべ1、てがね3、斧1、雑品類21、 帆布2反、帆布1、帆布1枚、望遠鏡1、 気圧計と気温計のセット1つ、皮ひも1束、ほうき1本、椅子3、茶箱1


9月13日に浜から観音寺に運び巡査が管理していました。これらすべてが入札にかけられ、掛塚湊の林文吉と武州横浜万代町の村上喜代治らが買ったと思われます。武州横浜万代町は現在の神奈川県横浜市中区万代町で、かつては横浜港に続く運河沿いにありました。

船体に張られていた銅板

写真:古文書

古文書には私共とあり、ここでは村上喜代治と林文吉が銅板を買っています。真鍮板とありますが、当時の帆船には銅板が張れられていました。真鍮板壱反とは銅版が1反分という意味で1反は布の大きさの単位で言うと並幅(約34cm)で鯨尺2丈6尺(約9.848m)または2丈8尺(約10.6m)となります。
古文書に記載されている「西嶋村の浜に漂着した銅板」は34cm×11m前後の大きさだった思われます。有名な帆船「カティ・サーク」に張られた銅板が4フィート×15インチ(約38cm×12.2m)であり、ほぼ同じ大きさであることから、銅板1枚分だったと推測できます。明治8年(1875年)8月27日付の横浜毎日新聞に鉱物類の価格の一覧によると、銅は500グラムで1.66円で、盗難未遂事件があったことからみても、かなりの価値があったことは確かです。

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