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更新日:2025年11月18日
古文書によると難破後のジェームズ・ペイトン号の様子は以下のようになります。
10月1日に「稀なる高波」に襲われて、船体が壊れ船具などが散乱してケヤキの角材や板などが浜に打ち上げられた。村役人の立会いの下、西島村の村人が集めて福島村の戸長山田斧次郎に届けた。
福島村では、何とか繋ぎ止めておこうとしたが、10月5日にも再三の高波があり、流されたか、砂に埋もれたと書かれています。船体はオークという木材で、銅板もはがされていることから、ばらばらに散乱したものと思われます。このため船体の残骸が海底の砂に埋もれている可能性は少ないと思われます。
しかし、錨が今も眠っている可能性はあります。
入札にかけられた品目の中に錨がないこと、英国公使法廷の船長が「停泊用の錨の鎖はばらばらになった」との証言があるからです。錨は海中に没したものと考えられます。
古い錨を引き上げた例もあります。1854年(嘉永7年)11月、駿河湾の富士市沖合に沈没したロシア使節団の帆船「ディアナ号」の二つの錨は昭和29年と昭和51年に引き上げられ、富士市三四軒屋の緑道公園と沼津市戸田造船郷土資料博物館に展示されています。
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