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更新日:2025年11月18日
アメリカのロイド船舶協会の記録では、建造当時の所有はペイトン商会でした。同記録では、その後、1873年にピットマン商会の所有者に変わり、難破当時はピットマンとオリエンタルバンクの所有でした。
平野家へ後に英国から贈られたガラスの水差しが贈られています。箱の蓋裏には舞阪宿の宮崎陳平が書いた裏書があります。この裏書は平野又十郎から聞いた話を宮崎が書いたものだと思われ、オリエンタルバンク所有と書かれています。難破当時の所有はオリエンタルバンクだったとみて間違いないと思われます。オリエンタルバンクは当時、アジアで最大の銀行で、英国東洋銀行と呼ばれ、日本の造幣所設立や鉄道敷設に深く関わっています。

英国公使法廷のコッター船長の証言によると、『船は、横浜のジョン・ピットマンとオリエンタルバンクが所有し、ジョン・ロバートソン氏はオリエンタルバンク(英国東洋銀行)の代理人をしていた。』と語っています。
ジョン・ロバートソンはイギリスのオリエンタルバンク横浜支店支配人でした。ジョン・ピットマンは内務省のお雇い外国人として来日、1878年(明治11年)6月以降、正式に大蔵・内務省の雇いとなり、中国や朝鮮の商況調査に従事しました。後に商人として横浜・上海で活躍しています。英国公使法廷の証言では、ジョン・ピットマンとジョン・ロバートソンの名が唐突に語られ、当時、説明の必要がないほどの有力者だったことを伺わせています。英国公使ハリー・パークスも2人と交流がありました。
オリエンタル銀行は1884年(明治17年)に破綻し、資料が残っていません。ジェームズ・ペイトン号を所有した経緯も分かっていません。
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