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更新日:2013年9月1日

どんな船員が乗船していたのか?

 多国籍で構成された船員たちだった

1855年当時の船長はジェームズ・ブラウン[James Brown]でした。次に、アメリカのロイド船級協会の1859年の記録で船長となったアリソン[Allison]の名が登場します。
1873年5月16日に横浜からシドニーに戻った時の記録ではウイリアム・コッター[William Cotter]が船長となっています。船長の他、船員と乗客の名前、年齢、出身が船長の直筆で記されています。コッターの名が最初に登場するのはこの記録です。どこで、船長になったのかは不明ですが、英字新聞「The Japan Gazette」1875年9月1日付、英国公使法廷でコッター船長がジェームズ・ペイトン号の船長となって4年と証言しているため、1872年に船長となったと思われます。
先の横浜からシドニー間の航海でコッター船長の直筆が残っています。
船員の国籍は、イギリス、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、アメリカ、クロアチア、イギリス、中国と多国籍だったことが分かります。

画像:コッター船長直筆の記録

ジェームズ・ペイトン号コッター船長の直筆の記録
(※1)Mariners and Ships in Australian Waters
http://mariners.records.nsw.gov.au/1873/06/052jam.htm(別ウィンドウが開きます)
難破当時の船員で名前が分かっているのは英字新聞「The Japan Gazette」明治8年(1875年)9月1日付、英国公使法廷の記事によると以下の通り。
ジェームズ・ウォレン 一等航海士
チャールズ・ラブ 船員
ウィリアム・ベリー 船員
ウィリアム・オー・ファーレル 船員
ハーマン・ジョンソン 船員

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