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更新日:2023年4月7日

第1章 浜松市の概要

1 地勢

本市は、首都圏と関西圏の2つの経済圏のほぼ中間に位置し、面積は1,558.04平方キロメートル、静岡県の約2割を占めています。
東は磐田市、周智郡森町、島田市、榛原郡川根本町、西は湖西市、愛知県の豊橋市、新城市、北設楽郡東栄町、同豊根村、北は長野県飯田市、下伊那郡天龍村と接しています。
長野県諏訪湖に端を発する日本を代表する急流河川の天竜川が本市を縦断し、遠州灘へと注いでおり、西端には、総面積70.35平方キロメートルの汽水湖、浜名湖があります。
地形は、天竜川中流域の急しゅんな中山間地、扇状地に広がる下流域の平野部、河岸段丘の三方原台地、そして浜名湖から太平洋の沿岸部によって構成されています。
気候は、全国的に見て温暖で恵まれた気象条件にあり、年平均気温(平年値)は14.5~16.0℃、年間雨量(平年値)は約1,800~2,500mmとなっています。

2 交通

本市は、JR東海道新幹線や東名高速道路、新東名高速道路(建設中)が通る我が国の交通の要衝にあり、近郊には、富士山静岡空港や中部国際空港が立地しています。
市内を結ぶ主な公共交通機関としては、市中心部から放射線状にバス交通が発達しており、市内の南北交通の軸となる遠州鉄道鉄道線、東西を結ぶJR東海道本線や天竜浜名湖線が走っています。
また、愛知県東三河地域や長野県南信州地域、本市が属する静岡県遠州地域の3地域で構成される三遠南信地域においては、地域を南北に縦断するJR飯田線が地域住民の生活に欠かせない公共交通となっているとともに、都市部と中山間地域を結ぶ自動車交通の利便性の向上に向け、三遠南信自動車道の整備が進められています。

3 まちづくりの歩み

明治4年の廃藩置県により、遠江国を管轄する浜松県が置かれ、浜松宿が遠州一円を管轄する行政の中心となりました。
明治9年には、静岡県に統合されるとともに浜松宿に支庁が置かれ、明治21年の市制・町村制の公布によって、翌22年に浜松町、明治44年7月1日には、市制施行により浜松市が誕生しました。
大正時代に入ると、繊維、形染、楽器などの産業に支えられて順調な発展を遂げ、昭和6年には全国産業博覧会を開催するなど、商工都市・浜松の名を全国に広め、近代都市への歩みを確かなものとしました。
しかし、太平洋戦争の終戦間近の浜松大空襲により、浜松市街地は壊滅的な打撃を受けました。市民は、戦災の傷跡から力強く立ち上がり、終戦からわずか3か月後には市街地の整備に着手し、都市復興に向けて歩み出しました。
昭和20年代後半から40年代にかけて、周辺の町村と合併し、市域を拡大するとともに、東海道新幹線、東名高速道路をはじめ、国道1号バイパスや都市計画道路の整備が進み、現在の都市の骨格が形成されました。
こうした都市の成長とともに、繊維・楽器・オートバイの三大産業が飛躍的な発展を遂げ、産業都市としての地位を確立しました。
昭和54年には、市の南北の均衡ある発展と鉄道機能の円滑化を目指した東海道本線の高架化、昭和59年の浜松駅北口バスターミナル、昭和60年遠州鉄道鉄道線の高架化(新浜松~助信間)が完成し、都市機能の整備を着実に進めてきました。
そして、発展する浜松のシンボルとして、平成6年10月にアクトシティ浜松がオープンし、本市のコンベンション機能を担う重要な施設となっています。
平成8年には、政令指定都市に準ずる権限を持つ中核市へ移行し、平成15年には人口が60万人に達しました。
同年9月には、天竜川・浜名湖地域合併協議会が設置され、政令指定都市を目指した市町村合併の議論がスタートしました。地域の将来を真剣に考え取り組んだ結果、1年9か月後の平成17年7月には、12市町村が合併し、人口約80万人の新浜松市が誕生しました。
そして、平成19年4月には、政令指定都市として新たなスタートを切り、自立した都市として持続的な発展を目指しています。

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