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更新日:2025年1月17日
三方原は、磐田原とともに洪積世(100万年~1万年前)に天竜川からの堆積された土砂が隆起した土地で、洪積台地と言われている。台地の上には大きな川がなく、本格的な開拓は明治時代から始まった。
江戸時代は和地村、祝田村、都田村の三つの村の採草地であったために、「三方の原の村」から「三方ヶ原」と呼ばれるようになり、現在の呼び名は「三方原」となった。
明治2年頃から入植した士族の開拓が始まり、道路を作り井戸を掘り生活の便を図ったが、経験のない開拓事業に難渋した。大正3年に元城・金指間に軽便鉄道が開通し、戦後の昭和の開拓や三方原用水の完成を経て、農業・産業の発展へと繋がった。
頑強な地盤の三方原台地は工場の高台移転が進み、工場地帯に変わったことにより開拓当時の風物が少なくなった反面、市内でも有数の発展地区となっている。
地区内を南北に国道257号線(金指街道)、県道磐田・細江線(姫街道)、東三方都田腺(テクノロード)、東西に国道257号線(環状線)、といった主要幹線が交差しており、都市部と中山間地域の中間点として、市内でも屈指の交通量がある。
また、東西を東名高速道路が縦断し、平成29年3月には三方原スマートインターチェンジが開通したことで、産業や観光分野での利便性が増している。
三方原台地上に位置することから、津波などの被害が予想されないことを受け、近年は住宅が増加するとともに、国道257号線(テクノロード)沿いを中心に大規模企業も次々に進出し、特に工業施設が多く建設されている。