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更新日:2023年7月26日

西区応援団YEEL! vol.23


今月の西区応援団YEEL!の担当は、篠原協働センターです。東海道の松並木と砂地に隠された意外な歴史をお届けします。yeel-kun-saranishusei

東海道の松並木と砂地の歴史

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こちらは、現在の篠原小学校前にある旧東海道の松の木です。江戸時代に整備された東海道には、夏の厳しい日差しや冬の冷たい強風から旅人を守るべく松並木が連なっていました。現在までに多くの松が伐採されてしまい、松並木は僅かしか残っていません。

 

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出典:『日本地理風俗体系5 東海地方』誠文堂新光社 刊

こちらの写真は、1920年代の東若林から舞阪のあたりの東海道の様子です。昭和初期でも、江戸時代の頃の面影がかなり残っていたことがわかります。また、1709年に刊行された江戸時代の旅人の旅行記『東海道駅路の鈴』には、「前坂(舞阪)までは真砂にて、一歩すすめば一足あとへもどるやうに覚えて、道のはかどらず」と記述されており、この辺りの東海道は砂地で、歩くのが大変だった様子が伺われます。

 

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出典:松原彰子『中村遺跡周辺の堆積環境』
(『中村遺跡(南伊場地区)-本文編-』216頁 図1浜松低地の地形と遺跡分布図)

では、この砂地はどうやってできたのでしょうか。こちらの図は、浜松市の地形分布図に、東海道を赤い点線で、篠原地区を丸で追記したものです。かつて佐鳴湖南岸まで海が広がっていた浜松市南部ですが、縄文時代前期の5000年前あたりから、天竜川が運ぶ土砂の堆積によって砂地が列状に形成されていきました。この砂地に沿って東海道は伸びており、篠原地区は砂地の割合が高い場所に位置していることが分かります。

 

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篠原と言えばタマネギ。今年のタマネギの収穫は終わり、砂浜のような砂地の畑が広がっています。タマネギは、冬でも地温が高く地下水に恵まれている篠原の砂地の畑と相性が良いようです。篠原のタマネギは、1911年(明治44年)に愛知県知多郡から種子を導入して栽培が始まったと言われ、砂地は今でもタマネギという特産品を篠原にもたらしてくれています。

 

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こちらは、朝市で売られていたタマネギです。私たちが普段何気なく食する篠原のタマネギ。そんなタマネギにも、こんな奥深い歴史があったなんて驚きです。



 

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