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更新日:2024年4月8日
伊場遺跡から出土した木簡に「入野」の地名がみられることから、入野町は奈良・平安の頃からの里であることがうかがえます。『遠江国風土記伝』によると「村の北に入江あり、村の南に富野あり、故に村号に負う」とあり、北側に入江、つまり佐鳴湖があり、南側には豊かな平野がひろがっていることから入野の地名がつけられたと考えられます。
江戸時代の入野村は浜松藩領で『元禄高帳』の村高からみると、全遠州を通じても、まれにみる巨村でありました。文政年間には、時の浜松城主水野忠邦が入野村の庄屋、竹村又右衛門宅で接待を受け、佐鳴湖で舟遊びをしたとの記録があります。国学者の賀茂真淵が臨江寺で歌会を催したり、幕府天文方の伊能忠敬が竹村家に宿泊して佐鳴湖の測量を行うなど、歴史上の人物とのゆかりも現在に数多く伝えられています。
明治22年に敷知郡入野村となり、昭和29年に浜名郡入野村、そのあと、大正・昭和と村史を重ね、昭和32年に浜松市と合併し、入野町となりました。
【参考文献】
「はままつ町名の由来」(神谷昌志著 静岡新聞社発行)
※紹介している由来は一例で、この他の説もあります。
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