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自殺という悔しさ

No.4844
小学校5年生

 皆さんは、いじめられて自殺する人をどう思うだろうか。きっと、かわいそうとか、いじめた人のことをひどいと思うだろう。確かに言葉では言い表せないぐらい、ひどいことだ。だって、いじめられた人はもう、死んでしまったほうが良いと決意してしまうぐらい、いやな思いをしたのだから。
 ところで、いじめ関係の自殺とは、本当に自殺なのだろうか。確かに自分で勝手に死ぬという道を選んだが、選ばさせたのはいじめた側だ。もし、この世にいじめというものが存在しなければ、そもそもその人は楽しく生きれていただろう。だから死ぬという道なんて当然選ばない。しかし、存在してしまった。原因は、いじめた側だ。
 でも実際は、そのことを自殺として、その件はそそくさとかたづけられてしまう。きっと、自殺した側は悲しいというより悔しいだろう。さらに、その人のことは何年かしたら存在してない人として人々から忘れ去られてしまう。
 だから、私の通っている小学校では、『いじめぼく滅三カ条』というものを毎月1回やっている。そこに書いてあることの1つとして、
「いじめている人を絶対許さない」
がある。いじめている人は、自殺した人がいたとしても、自分のせいにせず、人のせいにする。仮に、自殺していないとしても。そして、また同じことをして他の人にいやな思いをさせる。そしてまた自殺する人が出てくる。これだと、もし自殺する人が出てきたら、いじめた側はまるで殺人者のようだ。私はそのような人のことをどんなことがあっても、絶対に許せない。そして、この世に、いじめという3文字が存在しないでほしいと思う。

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