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更新日:2023年12月1日
去る1月17日(土曜日)、静岡市の浅間神社において、家康公薨去(こうきょ)(お亡くなりなったこと)400年を記念する行事のオープニングセレモニーが開催されました。これから1年間かけて、静岡市、岡崎市、浜松市の3市と静岡県で、家康公の顕彰活動を行ってまいります。
家康公といえば、かつては「たぬき親父」であるとか、信長公、秀吉公が築いた天下を横取りしたであるとか、とかく悪いイメージがつきまとっていました。しかし近年、その評価は一変しました。家康公は「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」の旗に象徴されるように、戦乱の世を終わらせ、極楽のような太平の世をつくるという志を掲げ、約束通り江戸幕府を開き、戦争のない260年の平和な時代を築きました。
260年間戦争がない時代というのは、世界史的に見ても奇跡であることから、家康公は平和のシンボルとして、世界中で高く評価されています。その一例が朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)です。秀吉公の朝鮮出兵により断絶していた李氏朝鮮(りしちょうせん)との外交関係を、朝鮮通信使により復活させ、明治時代に再び日朝関係が悪化するまで、良好な関係を保ちました。
昨今は紛争やテロが頻発し、不安定な国際情勢が続いていますので、余計に家康公が注目されるのかもしれません。
その家康公が、29歳から45歳という、人生で一番重要な時代を過ごしたのが浜松です。武将としての原点ともいうべき三方ヶ原の戦いも浜松ですし、宿敵武田氏を滅ぼし、甲斐、駿河を平定し、五万石の小大名から、百万石の大大名にまで成長したのが、浜松時代です。
まさに浜松時代の飛躍を足掛かりに、天下平定の礎を築いたと言っても過言ではありません。家康公が飛躍をした地であり、また江戸時代には、代々の城主の多くが出世をしたという歴史的事実にちなみ、浜松を「出世の街」として売り出してい
ますが、今年は家康公の顕彰活動の中で、それを大いにアピールしていきたいと思います。
その一環として「ゆるキャラグランプリ」の大会も、浜松に誘致しました。11月には、10万人くらいのゆるキャラファンの皆さんが、浜松へ集結します。その場所で、今年こそは出世大名家康くんを日本一にしたいと思います。ゆるキャラの選挙キャンペーンは秋頃ですが、その節には、絶大なるご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
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