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更新日:2023年12月1日
人生の中には、不思議なご縁を感じる時があります。それは偶然のようでもあり、何か大きなエネルギーに引き寄せられているようでもあります。
静岡文化芸術大学教授の磯田道史(いそだみちふみ)先生とは、そんな不思議な縁を感じています。磯田先生は、私が紹介するまでもなく、今や日本を代表する歴史家の一人であり、最近はテレビで見ない日はないくらいの売れっ子ですから、皆さんもよくご存じだと思います。「歴史を視聴者にわかりやすく解説し、放送文化の向上と地域活性化に貢献した」として、第15回NHK地域放送文化賞も受賞されています。
磯田先生が文芸大へ来られたのは、市が「出世城」との異名を頂く浜松城を核に「出世の街・浜松」のプロモーションを本格的に始めた2012年です。
その先生を最初に紹介してくれたのは、共通の友人である徳川家19代の徳川家広(いえひろ)氏でした。徳川家康公や徳川家の顕彰を本格的に始めた時に、磯田先生の紹介者が、家広氏だったというのは、徳川家のお導きのような気もします。
以来、磯田先生には「出世の街・浜松」プロジェクトや家康公400年顕彰事業などを強力にサポートしていただいています。
例えば、昨年は読売新聞のコラムに、元城町東照宮のことをご紹介いただきました。それ以降、無名であった元城町東照宮が、全国的に注目を集める場所になろうとしています。元城町東照宮の場所は、浜松城の前身である引間城跡地ですが、ここはかつて、今川方の有力武将である飯尾豊前守が城主でした。その時代に、若き豊臣秀吉公が三河から流れてきて、初めて武士として飯尾氏に仕え、しばらく引間城で奉公をしたという記録が残っているそうです。そして今川氏が滅びた後、城主となったのが徳川家康公ですので、この場所は、2人の天下人を生んだ地ということになります。そこで磯田先生は、元城町東照宮こそ、日本最強のパワースポットであるという記事を書いてくださいました。
それ以降、元城町東照宮は一躍脚光を浴び、全国から人が来るようになりました。今年の夏には、大変お忙しい仕事の合間を縫って、磯田先生自ら、浜松の子どもたちと一緒に、元城町東照宮の発掘を行なってくださいました。
浜松市にとって、磯田先生は今や最強の助っ人です。後日談ですが、磯田先生とお酒を飲んでいる時に、大学時代の話になり、私と磯田先生が、偶然同じ下宿に住んでいたことがわかりました。お互いさらにびっくりです。不思議なご縁が、また一つ増えました。
広報はままつ2014年10月号から磯田先生による連載『ちょっと家康み』がスタートしました。ぜひご覧ください。
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