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更新日:2023年12月1日
木下惠介生誕100 年の記念碑を除幕する市長と松竹の大角正映像副本部長
浜松は産業都市として名をはせてきました。従って、浜松の有名人といえば、真っ先に産業人の名前が挙がります。
しかし文化の面でもずいぶん多くの有名人を輩出しています。最近でいえば、作家の鈴木光司さんやジャズピアニストの上原ひろみさんあたりでしょうか。
そうした中、日本映画界の巨匠としてその名をとどろかせた浜松出身の監督がいます。木下惠介監督です。市内には、木下惠介記念館もあるので、多くの浜松市民は知っていると思います。
その木下監督が、昨年12月5日に生誕100年を迎えました。現在、松竹株式会社、浜松市、代表作「二十四の瞳」の舞台となった小豆島町の三者で、「ひとつの木の下プロジェクト」という顕彰プロジェクトを実施しています。
12月5日には、フラワーパーク内に小豆島町から贈られたオリーブの木を植えた「木下惠介の丘」がオープンし、新たな名所ができました。
メインとなる松竹は、大変な力の入れようで、世界各国の映画祭に改めて木下作品を出品する他、浜松を舞台に木下監督自身をテーマにした映画『はじまりのみち』を作って、6月1日全国で公開する予定です。
松竹の関係者とお話をすると、木下監督に対する思い入れと評価が極めて高いことに驚かされました。
同時代の世界的な監督に黒澤明監督がいますが、木下監督は黒澤監督に勝るとも劣らないと強調されます。そのわりに黒澤監督ほど名前が知られておらず、世間的な評価も後塵(こうじん)を拝することに映画人としては我慢がならないようです。
そこで生誕100年を機に、もう一度木下監督やその作品を世に問い、再評価していただきたいという強い思いのもと、松竹は、総力をあげて木下監督のプロモーションに取り組んでいます。これは浜松にとっても大変ありがたいことです。
私も何十年かぶりに、改めてDVDで作品を見ましたが、松竹の評価の通り、すばらしいなあと思いました。
市民の皆さんも、これを機に改めて木下監督の作品に触れてみてはいかがでしょうか。感動とともに、郷土にこんな偉大な映画人がいたことを誇らしく感じるはずです。
「肖像」(1948(昭和23)年)撮影中の木下監督
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