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更新日:2023年3月24日
浜松市博物館では、みなさまからのご質問におこたえしています。収蔵品に関するご質問はもちろん、浜松を中心とする地域の歴史について、地域の遺跡や文化財の調べ方など、身近なご質問もお寄せください。
ここでは、おもなご質問をご紹介いたします。
Q浜松市博物館には、何点くらい収蔵品がありますか?
A現在、12万点以上あります。古い絵図や生活の道具、出土品など、浜松地域のむかしの記録です。
Q蜆塚(しじみづか)公園のおおむかしの家は、本物ですか?
A今から4000年くらいむかしの家を、想像してつくりました。公園内の江戸時代の農家は本物です。
Q浜松市博物館では、展示の説明をしてくれますか?
A受付でお気軽にお申しつけください。いつでもご説明します。また、ご質問にもできるだけおこたえします。
Q浜松市博物館では、参加したり体験したりできる行事がありますか?
Aあります。夏休み体験館のほか毎月さまざまな行事を開催しています。団体見学の場合は、それらの体験メニューを事前予約できます。
Q浜松という地名は、いつごろからあったのですか?
A伊場(いば)遺跡で見つかった木のふだに「浜津」と書いてあるのが最古(1300年前)で、800年前ころに浜松という漢字に変わったようです。
Q蜆塚(しじみづか)の貝塚は、どうしてつくられたのですか?
A縄文時代に約1000年にわたって貝がらをつみ上げた結果です。わざわざ丘の上につんだことから、縄文人のいのりの場所だったのでしょう。
Q浜松市内で最古の遺跡はどこですか?
A今のところ、約2万前の石器が浜松市都田地区の前平(まえひら)遺跡から出土しているのが最古です。
Q浜松市内で一番大きな遺跡はどこですか?
A伊場(いば)遺跡や若林町の城山遺跡を中心とする伊場遺跡群です。森田町や南伊場町も含め、東西幅は1キロメートル以上です。
Q銅鐸(どうたく)はどのようなものだったのですか?
A1800年前の浜松最古の大形青銅器で、当時は新品の五円玉と同じ金色でした。石や土器しか知らない人びとは、びっくりしたことでしょう。
Q浜松市内に古墳(こふん)はいくつありますか?
A800基以上が見つかっています。もとは千基をこえる古墳がつくられたと考えられます。直径10mほどの古墳が多く見られます。
Qむかしの人は、火をどうやっておこしていたのですか?
A博物館では火打ち石や、木をこすりあわせる火おこしの体験ができます。一度つけた火は、いろりの中でたやさないようにしていました。
Qおじいさんたちが子どもだったころのくらしは?
A博物館に手がかりになるいろいろな品物があります。小学校や中学校に資料室があったら、同じようなものが見つかるかもしれません。
Q旧正月とか旧盆というのは何ですか?
A旧暦(月の満ち欠けを利用した昔のこよみ)でいいます。今のこよみとくらべて1カ月ほど遅れますが、季節感は旧暦のほうが合います。
Qむかしのお金を今のお金でいうといくら?
Aむかしの人の日記や売上げの帳面、広告などをしらべて、今の品物の値段とくらべてみることができます。
Q江戸時代の家のトイレはどこにあったのですか?
A江戸時代の家は、トイレは外(別の建物)にあるのがふつうでした。もちろん、水洗ではありません。
Q浜松城はどのくらいの広ささがあったのですか?
A現在の中部中学校付近から、ビオラ田町付近までが、江戸時代の浜松城の範囲です。博物館に絵図があります。
Q自分のまちの古い地名やいわれを調べることができますか?
A江戸時代(400年前)の絵図をパネルにして展示しています。みなさんの町を見つけてみてください。
Q徳川家康の伝説は、本当にあったできごとなのですか?
A浜松市内各地に、家康にかかわる言い伝えがありますが、いずれも確実なところはわかりません。
Qむかしの東海道をしらべてみたいのですが?
A浜松市を通過する江戸時代の東海道のほとんどは、現在でも歩くことができます。姫街道(ひめかいどう)には一里塚も残っています。
Q博物館の古文書を見ることができますか?
A常時数点を展示しているほか、マイクロフィルム化をすすめています。ご連絡いただければ、マイクロリーダーによる閲覧ができます。
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