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更新日:2019年3月31日
7月初旬の日曜日、早朝から天竜区鹿島にある八幡神社の境内には、ブラシや竹ぼうきを片手に住民たちが集まり始めた。その数およそ20人。今日は、月に1度の池の掃除の日だという。八幡神社は、遠州鉄道西鹿島駅から北西におよそ300メートル、国道152号沿いにある。
社殿脇の大木のクスノキの根元から水が湧き出している八幡神社の水。かの徳川家康公が、武田軍との戦いで浜松城へ落ち延びる際に立ち寄り、手拭いにその水を浸し、汗ばんだ体を拭いて休んだとも伝えられている。当時、この地は「涼の御所」といわれ、今も地名としてその名を残すに至っている。
作業をしている人たちに声をかけると「この湧き水のことなら、長老に聞くといい」と青柳さんという男性を紹介された。神社の目の前に住むという青柳さんは、現在81歳。この場所の湧き水を生まれた頃から見続けてきたという生き字引だ。
「昭和30年頃まではね、生活水としてみんなが使用していたんだよ」と青柳さんは、持っていたほうきの手を休めて教えてくれた。どこの家でも水道が引かれるようになった今でこそ、生活のために使われることは、ほぼなくなったというが、それまでは20軒ほどの家庭の生活用水だった。「その頃の名残で、有志が当番で掃除をしているんだよ。大きな掃除が月に1回。簡単な掃除は、女の人たちが3日に1回くらいでやっていてね」
この話からも、この水が地元の人たちに必要不可欠な水源として、昔から大切にされてきたことが伝わってくる。「今じゃ、近所の人たちと顔を合わせる機会も減ったでしょう。ここの人たちは、この掃除があるからね。こうして定期的に寄り合ういいきっかけになっているんだよ」と青柳さんは笑顔で言った。
昔の名残を感じさせるものといえば、湧き水が升目状に区切られている点も面白い。水源に近い方から「飲み水」→「米洗い」→「洗濯場」→「野菜洗い」の順に使うことが決まりになっていたのだとか。「子どもの頃は、大事な飲み水だったから、やたらにこの辺で遊ぶと怒られたもんだよ」と青柳さんは懐かしそうに笑った。「夏には、どこかの家のスイカが冷やしてあった。でも、誰かが盗んでいくようなこともない。いい時代だったね」。
近くで作業していた別の人に話しを聞くと「まだまだ、今でも使えると思うよ。災害でもあれば役に立つ時があるかもしれないね」と答えが返ってきた。これだけ念入りに手入れしているのだから、その言葉もうなずける。この地区の家々には、だいたい掃除用のデッキブラシか、ほうきがあるというのも面白い。
黙々と作業を続ける大人たちの脇では、4〜5人で遊ぶ小学生たち。池の側には、子どもが遊ぶのに丁度いい湿地がある。しばらくすると「沢ガニがいた!」と弾んだ声も聞こえてきた。住民それぞれの時代の思い出とともに、八幡神社の湧き水はあるのだ。
(注意)「天竜区の水」は、滝や池なども含めた天竜区のさまざまな水資源を紹介するものであり、「飲み水」として紹介するものではありません。飲用として保障するものではありませんので、ご自身の責任と判断において親しまれるようお願いいたします。
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