更新日:2025年1月21日
龍山支所地域カルテ
龍山地区の概要
- 明治34年11月、旧龍川村(旧天竜市)のうち大字大嶺及び戸倉、旧山香村(旧佐久間町)のうち大字瀬尻及び下平山の四地区が合併、両村の頭文字「龍」と「山」をとり「龍山村」として創設された。その後、平成17年7月1日、浜松市への合併まで行政区域が変わることなく、104年の歴史を刻んできた。
- 龍山地域は、天竜川中下流域に位置し、東海道沿線から約40kmの距離にある。天竜川が、地域の中央を南北に貫流し、その両岸は赤石山系の南端にあたる山々が連なる山岳型の地形を呈し、森林面積が94%を占めている。このような地形的条件にあるため、生活を営める場所は限られ、集落は天竜川河岸の堆積地や比較的傾斜のゆるやかな山の中腹部に極めて小さな規模で散在している。
- 気候は温暖で雨も多く、杉や檜の生育に適していることから天竜林業地帯の中核地域としての林業、良質な茶の産地としての農業が住民の生活を支えてきたが、国内外の社会経済構造の変貌により、これら地域の基幹産業は長期間の低迷を余儀なくされている。
- 人口は明治34年の創設当時は、2,962人で、その後峰之沢鉱業所の最盛期と秋葉ダム建設が重なり昭和34年には13,226人まで人口が膨張したが、昭和33年に秋葉ダムが完成、昭和44年に峰之沢鉱業所が閉鎖されると、昭和45年には2,808人と創設当時とほぼ同じ人口となり、鉱業所の閉鎖が短期大量流失の最大の原因と考えられる。その後企業誘致も図ってきたが、環境的な制約から鉱業所に替わる雇用の場を創設することは困難であり、国内産業が第一次産業から第二次産業に移行されていく中で、基幹産業である林業を取り巻く環境が厳しさを増すとともに、山間地農業として古くから制約を受けていた農業は人口流出をくい止める雇用の場を創り出すことはできなかった。
- このような中、当地域は昭和56年に過疎地域の指定を受け、過疎対策事業に取り組んできた。過疎対策事業の実施は、本地域の住み易さを確実に向上させてきた。
- また、国道152号横山トンネルの開通や秋葉トンネルの開通など、都市部との交通時間の短縮が進むとともに、情報通信網の発達などにより住民の生活様式、生活圏が多様化、広域化してきている。特に、都市部での生活や就労を志向する意識は若年層を中心に大きいこと、また地域外で就労せざるを得ない産業構造への変革と相まって、子どもは都市部で生活・就労し、親は龍山地域に残っているという形態が多くなっている。
- こうしたことが、高齢化率を引き上げ、近年の著しい少子化と相応して、高齢者の一人暮らしや高齢者のみの世帯が多い状況に至っている。地域に住む高齢者層を中心に、住民としての連帯感は非常に良好なものがあり、地域扶助もしっかり根づいているが、もはやそれも機能しない状況になりつつある。
龍山地区の特徴
(1)位置
静岡県の西部地方、南北に長い浜松市の北部・天竜区内にある。天竜川水系の中下流域に位置し、河口の遠州灘から北方に向かってさかのぼること約50km、直線距離約35kmにある。
〇龍山支所までの距離
場所 |
距離 |
JR浜松駅 |
約38km
|
遠州鉄道西鹿島線西鹿島駅 |
約18km |
東名高速道路:浜松IC |
約30km |
新東名高速道路:浜松浜北IC
|
約20km |
地域の南北に貫流する天竜川に沿って国道と県道が並行し、浜松駅等から佐久間町、水窪町への中間地点となっているが、東西は山間地となり主要路線がなく、スムーズな移動が難しくなっている。
(2)面積・地形
面積:70.23平方キロメートル(東西10.0km、南北15.5km)
天竜美林に囲まれ、わずかな平地があるが、多くは山の中腹に集落が散在している。産業は、林業が中心に営まれ、わずかな農地で茶等を栽培している。しかし、茶業の衰退に伴い、チンゲンサイやブルーベリー等の中山間地域に適した作物を栽培する農家もある。
(3)その他
災害の特性は、大雨や地震時のがけ地崩壊に注意が必要である。また、複数の河川が流れており、降雨量の多い土地柄で大雨による水害に注意が必要である。地域は、地盤の岩石が非常に割れやすく、特に表面の地層はもろくなっており、崩れやすくなっている。周囲の断層の影響を受け、天竜川沿いの地域を中心に地すべりやがけ崩れが発生しやすくなっている。
地域カルテ全文
龍山支所地域カルテ(PDF:848KB)