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更新日:2024年2月27日
English(Tenshu Guruwa(castle bailey))
浜松城の天守台周辺には、本丸とは別に天守曲輪と呼ばれる区画が築かれている。
この天守曲輪の出入口として東に大手である天守門、西に搦手の埋門を配置している。
浜松城の天守曲輪は東西56m、南北68mで、石垣の折れ曲がる角度が様々で、複雑な多角形をしている点が特徴である。
これは自然の山の形を反映した結果と考えられ、石垣造りの曲輪としては古相を留めた形といえる。
また、曲輪の外周には土塁が巡らされていたと考えられる。
天守曲輪は掛川城、和歌山城等にも見られるが、類例は決して多くない。
掛川城は浜松城第二代城主堀尾吉晴の同輩である山内一豊が、和歌山城は豊臣秀長がそれぞれ築いており、豊臣秀吉と深く関わる遺構といえる。
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