川廷さんと学ぶ 未来を変える浜松のSDGs/【対談記事】縄文楽校・NPO法人縄文未来 KALA

joumon_top.jpg

写真左から、川廷昌弘さん、鈴木信行さん、すずき青さん

 

環境問題が深刻化する中で、何か行動をおこしたいけれども「何から始めればいいのか分からない」という人は少なくありません。浜松を拠点に活動する「縄文楽校・NPO法人縄文未来 KALA」の取り組みは、そんな問いに対する答えの一つです。

佐鳴湖の水質汚濁や大規模開発をきっかけに始まった対話の場は、やがて現場に入り、自然と向き合いながら行動する実践へと展開していきました。正解を急ぐのではなく、問いを抱えたまま手を動かし続ける。その積み重ねの中に、環境と人との新しい関係性が見えてきます。

 

<キーワード>

#市民活動 #環境活動 #環境教育 #循環型社会 #持続可能な暮らし #森づくり #防災と環境 #1万年平和が続いた知恵

 

自然を先生に、問い続ける環境との向き合い方

対話から行動へ、縄文楽校の原点

川廷昌弘さん(以下、川廷):まずは「縄文楽校」について教えてください。

 

すずき青さん(以下、青):1995年頃、佐鳴湖の水質汚濁や大規模な宅地開発が進み、私の中で環境問題への危機感が一気に高まりました。「何とかしなければ」と思い、まずは環境問題を考える場として「みんなで地球サミット」を呼びかけたんです。

浜松の街中や公民館、浜名湖周辺、さらには開発が進む現場にも足を運び、市民が10人、20人と集まって、「どうすればいいのか」を話し合いました。こうした集まりを、1995年から約5年間、毎月1~2回続けました。

 

川廷:1992年に、ブラジルのリオデジャネイロで開催された、環境保全と持続可能な開発を話し合った国連環境開発会議、いわゆる「地球サミット」に倣った取り組みだったんですね。

 

:はい。市民レベルの活動でしたが、みんな本気でした。ただ、集まるとどうしても文句が多くて(笑)。本当は「夢を出そう」「イメージを描こう」というのが狙いだったんですが、なかなかアイデアは出てこなかったですね。それでも、最後はアクトシティの中ホールを借りて、500人ほどが集まる「アースフェスティバル」をみんなで開催しました。「次の地球を考えよう」というテーマでやり切って、そこで一度、解散しました。

 

joumon01.jpg

KALAを運営する、NPO法人縄文未来・縄文楽校の鈴木信行さん(写真左)と、すずき青(写真右)さん

 

川廷:解散後は、どうされたんですか?

 

:一人になって「これから何をすればいいんだろう」と考えながら、山を歩いていました。その中で、山の稜線の美しさや、川が蛇行するバランスのとれた美しい姿を見ているうちに、答えは自然の中にあるんじゃないかと思うようになったんです。

当時、佐鳴湖は日本で「最も汚い湖」と言われるほど、水質が悪化していました。また、市内には広大な森が広がるエリアもあり、珍しい植物が数多く見られる貴重な自然が残されていましたが、開発が進むにつれて森は削られ、周辺環境は荒れ、山の中にはゴミが散乱するようになってしまいました。

あちらこちらで環境が壊れていく様子を目の当たりにして、話しているだけでは何も解決しないからこそ、ここからは行動しよう。そう考えて立ち上げたのが、縄文楽校の前身となる「縄文倶楽部」だったんです。

 

joumon02.jpg

縄文未来・縄文楽校の事務所で取材をする川廷昌弘さん

 

川廷:どんな活動をされたのですか?

 

:とにかく現場に入ることから始めました。佐鳴湖の水質浄化を考える中でヒントになったのが、湖のすぐそばにある縄文時代の「蜆塚遺跡」です。昭和30年代まで、佐鳴湖には多くのシジミが生息していたと言われています。水質浄化能力の高いシジミの力を生かせないかと考え、「佐鳴湖にシジミを復活させよう」と思い至りました。同時に、宅地造成によって失われていく森に対して、木を植える活動も始めました。

 

止められない開発の中で選んだ、「植える」という行動

:市内の大規模開発に伴い、失われた森がありました。最初は反対運動や署名活動もしましたが、止めることはできなかったんです。それでも、何かできることはないかと考え、最終的に選んだのが「移植」という方法でした。重機が入る前に、森から苗木を掘り出して、別の場所に移す。当時は4、5人ほどの小さな活動でしたが、若い苗木を一本一本、運び出しました。

 

鈴木信行(以下、信行):救い出した苗木は近くに植えられ、今では2〜300本ほどが育っています。高いものでは、10メートルを超える木もありますよ。

 

:そこから、木を植えることが大事だ、という感覚が、自然と体に染みついていったんです。

 

joumon03.jpg

 

川廷:なぜ、木を植えることがそこまで大切だと感じるようになったのでしょうか。

 

:やっぱり、森が泣いていたからだと思います。「みんなで地球サミット」を終えたあと、何をすればいいのか分からず山を歩いた時、日本の国土の7割が森だという当たり前の事実に立ち返ったんです。森を大事にすることが、すべてにつながる。そう直感しました。

「お願いだから泣かないで。若い木だけでも助けるから」。そんな気持ちで森に語りかけながら苗木を移しました。すべては守れなかったけれど、木を植えると、命が少しずつ戻ってくるのが目に見えて分かるんです。鳥が来て、虫が集まり、森が息を吹き返していく。その変化を、子どもたちにも見てもらいたくて、近くの小学校に声をかけました。

 

川廷:地域ぐるみの活動になっていったんですね。

 

信行:全校児童およそ700人と先生方も関わってくれて、今も小学校の校庭には立派な森があります。

 

:シジミによる佐鳴湖の水質浄化と、森の移植と植樹。この2つを軸に縄文楽校の活動は、少しずつ地域に広がっていきました。佐鳴湖水系の上流から、水系に沿って行くと、最終的には海岸にたどり着きます。そこで、海岸への植樹にも取り組むようになりました。

 

信行:それと、東日本大震災で津波被害を受けた地域を訪ねたことも、沿岸での海岸林や防潮森づくりにつながっています。

 

川廷:海岸林の取り組みは、「木を植えること」そのものが目的だったのでしょうか。それとも、植えることで得られる価値も見すえていたのでしょうか。

 

:一番は、防災ですね。震災以降、東海・東南海地震が想定される中で、津波への備えとして海岸に木を植える必要があると感じていました。ちょうど、その思いと活動の立ち上げが重なっていった、という感覚です。

 

川廷:防潮堤の計画は、その時点ではご存じなかったんですね。

 

信行:はい。計画が動き出す前から小学校などに声をかけて、少しずつですけど植樹を始めていました。その後、防潮堤が土でつくられると聞き、「それならそこに木を植えさせてもらえないか」と、こちらから交渉したんです。

 

:この活動は「縄文楽校」だけで進めるものではないと考えていました。防災は、一つの団体だけでは成り立ちません。いざという時に機能するには、人のネットワークが必要ですし、たとえこのプロジェクトが終わったとしても、つながりが残っていれば意味がある。そう考えて、最初からネットワークとして立ち上げることにし、2012年、「ネットワーク KALA プロジェクト」が始まったんです。

 

joumon04.jpg

近隣の小学校や中学校、高校、大学をはじめ、地元企業から大手メーカー、自治会、福祉施設、各種団体まで、さまざまな参加者が防潮森づくりに参加

 

植樹から始まった、学びとつながり

川廷:KALAでは、どのような活動をされているのですか?

 

信行:2025年5月まで、毎月1回のペースで植栽を続けてきました。防潮堤の着工前は、海岸沿いの学校や防砂林内の敷地を中心に、地域の自治会、企業、学校、福祉施設などと協力しながら森づくりを進めてきました。防潮堤の着工後は、防潮堤の陸側下段およそ3000メートルにわたり、60団体とともに1万本以上を植樹。今では、高いところで7〜8メートルに成長した森が広がっています。

 

joumon05.jpg

木々が育った防潮森を見学

 

joumon06.jpg

KALAの腕章には、活動した日にちが記されている

 

川廷:浜松だけにとどまらず、インドでも植樹をされるとか。

 

:活動に参加してくれたインドの方がきっかけです。「KALA」という言葉には、「時(とき)」や「無限」、「波」といった意味を込めましたが、サンスクリット語では「アート」を意味するそうです。その方の親族の方がインドでホテルを経営されていて、「お寺も多いその周辺に木を植えたい」と相談されたんです。その後インドを訪れ、NGOが運営する小学校を見学し、交流がスタート。今年は、現地の子どもたちと一緒に木を植える予定です。

 

川廷:素敵ですね。木を植えることが共通言語になっている。

 

:インドを訪れた時、街中にゴミがあふれている光景を目にしました。背景には、ゴミ拾いが長く特定の人々の役割とされてきた社会構造があります。そのため、多くの人がゴミに触れず、結果として捨てる一方になってしまう。その現実に、胸が痛みました。

そこで、「ただ木を植えるだけではなく、ゴミ拾いと植樹をセットで行おう」と考えたんです。一緒にゴミを拾い、一本の木を植える。その体験を通して、お互いの文化や価値観を知り、人と人とのつながりが生まれていくと感じました。

 

joumon07.jpg

2024年12月20日インド、ブッダガヤでの植樹の様子

 

川廷:そうした積み重ねが、縄文楽校の活動を支えているのですね。

 

:はい。人と人、人と自然の関係を考えていくと、私の中で縄文時代に行き着くんです。縄文時代は、日本の歴史の中でも、長く平和が続いた時代なんです。

 

川廷:自然と共に暮らしていた、豊かな時代だったと。

 

:縄文時代の人たちは、どんな暮らしをしていたんだろうと考え、縄文楽校では、まず炭焼きから始めました。田んぼを耕し、石窯をつくり、自然素材で物づくり等、一通りの自然体験を重ねてきました。今日も、発酵や酵母など食に関わる研究をしているグループが集まり、ここでミーティングをしていたところです。

 

川廷:お話を伺っていると、みなさん自身で考え、答えを見つけている印象を受けます。

 

:専門家や先生に指導を受けることはほとんどなく、みんなが先生だと思っています。一人ひとりが持っている知恵は本当にすごいんです。先生をつけてしまうと、どうしても頼ってしまって、自分で考えなくなるんです。縄文楽校を始めた時から、「先生は自然にしよう」と決めていました。木一本でも先生です。もちろん、学校の先生など、いろいろな方が関わっていますが、一番の先生は自然だという考えは、ずっと変わっていません。

 

川廷:自然から得たものを、自分たちで学び取っていく、と。

 

:そうですね。見よう見まねもたくさんあります(笑)。でも、その中から知恵が生まれてくるんです。自然の循環を考えていくうちに、視野も少しずつ広がり、宇宙教室もやりましたよ。循環を考えるなら、宇宙も含めないといけませんから。とはいえ、まだまだですけど。

 

川廷:いえいえ、十分すごい歩みだと思います。今やインドにまで広がっていますし、「KALA」というキーワードが、きっと導いてくれたんですね。本日はありがとうございました。

 

joumon08.jpg

 

(まとめ)

今回のお話を通して感じたのは、「環境問題にどう向き合うか」という問いに対して、正解や完成形を求めるのではなく、問い続け、長い時間をかけて手を動かし続けてきた姿勢そのものが、縄文楽校の価値なのだということです。対話から始まり、自然に身を委ね、現場に入り、できることを一つずつ積み重ねていく。その歩みの中で、特に印象的だったのが「先生は自然」という言葉でした。専門家に頼るのではなく、自然の変化に耳を澄まし、自ら考え、判断し、実践していく。その姿勢は、行動を通して社会を変えていくSDGsの理念と通じるものだと感じました。(川廷)

 

縄文楽校・NPO法人縄文未來 KALA

「人と自然とものとが調和し、巡る社会モデル」の実践を目指して活動。約1万年にわたり持続した縄文時代の暮らしに学び、炭焼きや植林、石窯を使ったパンづくり、日本の貴重な植物の自生地保護などの活動を行っている。2012年には「ネットワーク KALA プロジェクト」を立ち上げ、将来予測される南海トラフ巨大地震などの災害に備え、遠州灘沿岸で防潮森を築く活動を展開。2026年3月には、インド・ブッダガヤにて植樹および清掃活動を行う予定。

https://joumon.main.jp/