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更新日:2013年9月1日

伝松下屋敷跡の発掘調査(頭陀寺町)


地中から現れた建物の礎石


出土した大量のかわらけ

2001年10月中旬から下旬にかけて、浜松市頭陀寺(ずだじ)町に残る「伝松下屋敷」跡の一部で試掘調査を実施しました。地元では、戦国時代の武将松下氏の館跡と伝わる場所です。松下氏は今川氏の家臣で、引間城主飯尾氏に仕えていました。また少年時代の豊臣秀吉が、松下氏に一時奉公したという伝承も広く知られています。屋敷跡北方の神社には、秀吉にかかわるという「鎌研池」(かまとぎいけ)も残っています。

また隣接する頭陀寺は、古い時代の記録に名が見え、中世には川勾荘(かわわのしょう)(現在の浜松市河輪地区や芳川地区だけでなく、磐田郡竜洋町の大半まで領域とした広大な荘園)を管理した有力寺院です。近くには当時の市場があったといい、屋敷跡周辺は荘園の中枢として、にぎわっていた場所だったと想像できます。

今回の発掘調査地点は頭陀寺第一公園東の隣接地で、屋敷の中心部と推定される場所です。伝承のままになっていた「松下屋敷」跡に、実際に当時の遺構や遺物が残っているかどうかを確かめる目的で、調査を実施しました。屋敷跡は調査範囲よりもさらに広いため、全容は明らかになりませんでしたが、戦国時代末(16世紀)の建物の礎石が発見されました。建物周囲の土が赤く強く焼けていたことから、この建物が火災にあい、後に盛り土をして再建されたこともわかりました。この時代、礎石のある建物は規模の大きい寺院や城郭などに限られるため、有力者の建物であることはまちがいなさそうです。さらに、「かわらけ」と呼ぶ素焼きの皿や、常滑焼や瀬戸製陶器なども多数発見されました。

かわらけは引間城跡と考えられる元城町東照宮からの出土品とそっくりで、年代もよく合います。また永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで今川義元が敗死して以後、三河では徳川家康が戦国大名としての地歩を固めつつあり、遠江でも引間城主飯尾連龍らの今川氏からの離反の動きが頻発します。そのため永禄7年、今川氏真は引間城を攻め、その戦乱で「頭陀寺の城」も戦火にあったといいます。発見された建物が焼けているのは、この史実を物語っているのかもしれません。

今回の調査では、松下氏と直接結びつく物証が得られたわけではありません。それでも、伝承と年代の合う建物跡や出土品が発見され、当時の有力者の屋敷であったことは疑いありません。頭陀寺町付近の歴史を再確認する貴重な成果となりうるものと考えています。

伝松下屋敷周辺の旧地形と、かつての屋敷跡の推定図

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