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更新日:2019年4月12日
若き家康が今川氏から独立し、三河国を平定したのち、今川領であった遠江国をいかに攻略し平定していったのか。そこには、遠江の国人たちの抵抗や恭順があり、家康や家臣たちが苦労して遠江国を平定し、天下取りの足掛かりとした歴史がありました。
徳川家康公顕彰四百年記念の本年は、家康と、井伊直虎や飯尾連龍など遠江の国衆の資料を集めた特別展を開催いたします。
開催期間 |
平成27年11月1日(日曜日)~平成27年12月6日(日曜日) |
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開催場所 |
浜松市博物館特別展示室・講座室 |
開館時間 |
午前9時~午後5時 |
期間中の休館日 |
11月4日(水曜日)・9日(月曜日)・16日(月曜日)・24日(火曜日)・30日(月曜日) |
観覧料 |
大人500円・高校生200円・中学生以下無料 70歳以上の方と障害者手帳をお持ちの方と介添えの方1名まで半額 |
後援 |
浜松市教育委員会、静岡県文化財保存協会 (公財)浜松市文化振興財団、(公財)浜松観光コンベンションビューロー 静岡新聞社・静岡放送、中日新聞東海本社 NHK静岡放送局、静岡第一テレビ、静岡朝日テレビ、テレビ静岡 |
芸術文化振興基金助成事業
桶狭間の戦いで、今川義元は織田信長に討ち取られ、今川家に属していた遠江の国衆たちは動揺しました。今川か徳川か武田に付くのか、国衆たちの家中において混乱が起き、遠州は騒乱状態になりました。
関口氏経次郎直虎連署判物(蜂前神社文書)
三河平定ののち、井伊谷三人衆の手引きで遠江へ侵攻した家康は、国境を越え、抵抗する国衆たちを避けながら、浜松の地へ入りました。
引馬城を攻略し、新たに浜松城を築いた家康は、遠江を東に進み、やがて掛川城にいた今川氏真を追放して遠江を平定しました。
徳川家康判物(都筑家文書)
大井川を境に駿河を支配していた武田氏が、遠江の攻略を始め、謀略によって武田氏に寝返る国衆たちも現れます。家康は、長篠の戦いで武田氏の支配が衰えると、寝返った国衆たちを再び攻略していきました。
武田家楯無鎧写(鹿嶋神社)
慶長8年(1603年)に家康は征夷大将軍となり、江戸幕府を開きました。家康に従っていた遠江の国衆、井伊氏や久野氏は大名となり、近藤氏や大沢氏は旗本として存続していきました。
井伊直政木像(龍潭寺)
1.記念講演会
「徳川家康と井伊直虎-躍動する遠江の「国衆」たち-」
講師:夏目琢史(一橋大学付属図書館研究開発室助教・徳川記念財団特別研究員)
往復はがき一通で1名様の申込みができます。
2.ギャラリートーク
学芸員が展示の解説をいたします。
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