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更新日:2025年5月20日
「目で見る浜松の歴史」
浜松という地域の数万年にわたる地域史を、収蔵品を中心にご紹介しています。注目していただきたい資料については、逸品陳列とし、随時入れ替えをしています。
浜松市博の歩み |
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昭和30年(1955) |
蜆塚遺跡の発掘調査開始 |
昭和33年(1958) |
浜松市立郷土博物館開館 |
昭和54年(1979) |
浜松市博物館として、現在位置に開館 |
平成17年(2005) |
12市町村広域合併により、歴史系広域博物館群を構成 |
平成23年(2011)3月19日 |
常設展示リニューアルオープン |
令和7年(2025)3月15日 | 常設展示(近世・近現代)の展示を更新 |
縄文時代の弓矢が、シカの毛皮と臀(でん)部(ぶ)を貫通して、骨を突き通すほどの威力を持っていたことを示す資料です。また石鏃の周りの骨が盛り上がっていることから、このシカは、矢を受けつつも致命傷とならず、縄文人の狩りから逃れて、生き延びていたこともわかります。
石鏃が刺さったシカの腰の骨(蜆塚遺跡出土)
紀元前10世紀、まず北部九州に伝えられた水田で稲を育てる技術(水稲農耕)は、その後600年をかけて浜松にも伝えられました。
木製農具(岡の平遺跡出土)
国家の形が見え始めた古墳時代の浜松には、多くの古墳が造られました。日本に都が造られた律令時代の浜松には、役所(郡衙)が設けられて文字が使用されました。また、瓦を葺いた立派な寺院が造られました。この古代の様子を発掘資料を中心にご紹介します。
「濱津」の地名が見える木簡(複製品)(伊場遺跡19号木簡)
銅鏡・銅鏃・巴形石製品(浜名区馬場平古墳出土)
金銀装大刀 静岡県指定有形文化財(鳥居松遺跡出土)
鎌倉~戦国時代の浜松は、行き交う旅人も多く、にぎわっていました。南北朝時代の浜松は、南朝と北朝の攻防の舞台でもありました。戦国時代には、名だたる武将たちがかけひきを繰り返しました。市内の著名な武将の軌跡や、にぎわいのようすをご紹介します。
かわらけ(頭陀寺町伝松下屋敷跡出土)
近世の浜松市域は、浜松藩領だけでなく旗本領や幕府領がありそれらが錯綜していることが特徴です。そのような状況で営まれていた浜松城の城下町の生活、村の生活について紹介します。また、19世紀以降社会秩序が変動してくる様子も紹介します。
明治維新により徳川幕府による支配が終わると、浜松市域は明治政府から徳川宗家に与えられた府中藩(静岡藩)の領域となり、支配関係の錯綜が解消されます。近代の地方制度の変遷やそこに生活する人々による議会の様子についても紹介します。また、近代において自立した個人による表現活動や輸出品生産により国益に貢献する意識を持った人々の様子も紹介します。そして、アジア太平洋戦争下の人々の生活や敗戦後の改革についても紹介します。
明治以降、衣食住といった身近な生活が変化していきます。それらの移りかわりの様子を昔のくらしの道具を中心に紹介します。
また、北遠では林業が盛んに行われ、浜名湖では収穫場所や地域によって様々な手法による漁業が行われてきました。林業の展示では主に伐採に関する道具、漁業では庄内、雄踏地区を中心とした漁業の道具を紹介します(各地域の分館でも林業や漁業に関する展示が行われています)。
縞帳や織物サンプル、織機など浜松市を代表する産業である織物に関する資料や日本楽器(現在のヤマハ)出身のピアノ技師である大橋幡岩が設計したグランドピアノなどを展示しています。
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