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更新日:2026年3月16日
| 名称 | 大窪神社境内の石造物群 |
|---|---|
| ふりがな | おおくぼじんじゃけいだいのせきぞうぶつぐん |
| 所在地 | 中央区大久保町3282-1 |
| 認定番号、認定年度 | 浜松市認定文化財759、令和7年度 |
| 種別 | 有形民俗文化財 |
| 草創年代 | ー |


推薦団体:神久呂の昔を探る会
大久保町の中ほどに、緑に囲まれ古い石垣の神社がある。大窪神社である。この場所は、江戸時代の旗本中家3500石の大久保陣屋のあとである。
明治維新により、大久保陣屋は廃絶。陣屋の記録は一切残されていないため詳細は不明だが、明治時代に彫られた銅版画(馬淵金吾家)には、配置図が詳細に描かれ規模の大きさを知ることができる。現在、敷地に残されている石垣は、陣屋の名残である。
(石垣は、令和5年度浜松市地域遺産に認定。No.566大久保陣屋跡。)
昭和26年(1951)、陣屋跡地は、服部家の最後の用人馬淵氏末裔(馬淵恒蔵氏)から大久保村へ寄付された。その場所を使って、村内にあった集落の氏神四社(日吉(ひよし)神社・神明宮(しんめいぐう)・進雄(しんゆう)神社・稲荷神社)が合祀され、大窪神社が創建された。
大窪神社の石造物群は、氏神四社から移転してきたものである。
鳥居を見ると、神社入口の一の鳥居は、明神形(みょうじんがた)鳥居だが、中ほどの二の鳥居は、神明形(しんめいがた)鳥居である。
明治39年(1906)建立の灯籠は、村内でも隆盛を極めた進雄神社のもので、大前の銘がある。また、寄進者として『当神社内神官和久田宮内ェ衛門長女 靖国神社宮司賀茂水稲 妻秀子』と刻まれている。
もっとも古いものは、寛政3年(1791)の秋葉山常夜灯である。高さ2.7mで45cmほどの基壇の上に建っている。江戸時代の秋葉灯籠の中では、浜松市内でも大きい方に属する。以前は、地域の「火祭り場(ひまつりば)」(進雄神社の祇園祭の祭場)にあったものを移転した。
昭和10年(1935)に建立された拝殿前の狛犬2基には、「大日本大角力大関天竜三郎寄進」と刻まれている。大久保村が生んだ名力士「天竜三郎」が絶頂期にあった頃に寄進されたものである。
昭和17年(1942)建立の「耕地整理記念碑」は、抜本的な国家政策で増反事業の完成を記念した石碑の1つである。
その他の石造物を見ても、もとあった四社それぞれにおいて、地元住民が国家的儀式に伴って充実させ、景観を整えていった様子を伺うことができる。
境内に存在する石造物の中には、風化が進んで銘文が読めないものも見られるが、一つ一つが何処の神社に建立されていたものか、いにしえの陣屋跡にも思いをはせ、緑と広い境内を調べてみるのもまた楽しいものである。
昭和26年(1951年)、大久保村内にあった4つの氏神社(日吉神社・神明宮・進雄神社・稲荷神社)を合祀し、大窪神社を創建した。
大窪神社の石造物群は、4つの神社から移転してきたものである。25件。
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