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更新日:2025年6月19日
名称 | 渋川新道碑 |
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ふりがな | しぶかわしんどうひ |
所在地 | 浜名区引佐町渋川3795 |
認定番号、認定年度 | 浜松市認定文化財749、令和6年度 |
種別 | 歴史資料 |
草創年代 | 1896年(明治29年) |
推薦団体:渋川自治会
大石父子の碑は県道47号線沿い、国登録有形文化財凱旋紀念門の横に並んで立ち、渋川地域を見守っています。
大石勝太郎は、渋川の発展に尽くした功労者です。
大石勝太郎が44年の永きに渡り渋川郵便局長を務めたことから、最近まで渋川郵便局の職員が碑の周囲の草刈り等を行っていましたが、現在は自治会が行っています。私財を投じて地域の発展に尽くした大石父子の功績は後世に繋いでいかなければなりません。
2025年渋川つつじまつりで渋川の魅力再発見ウオークを実施しました。
引佐町渋川にある「渋川新道」の竣工に大きく貢献した大石喜三郎(きさぶろう)を称えて建てられた石碑。高さ280cm。
六所神社前に国登録有形文化財「凱旋紀念門」や息子である大石勝太郎の頌徳碑と並んで建てられている。
大石喜三郎について
1842年(天保13年)に生まれ、のちに渋川村庄屋の大石惣左衛門の養子となる。
23才より庄屋を引継ぎ、地域開発に尽くした。
村の林業発展を目指し、木材搬出のための都田川の水運利用を図った。
さらに、資材5700万円を投じ、渋川・気賀間に林道を建設した。
信州三河街道、井伊谷~気賀に至る新道開発にも着手、7年の期間を要し竣工した。
また、1873年(明治6年)、群下で最も早く小学校を創立した。
1884年(明治17年)逝去。
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