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更新日:2023年3月24日
はままつの文化財
Vol.13 平成21年5月15日
姫街道は、見付宿から御油宿まで、浜名湖の北岸を迂回する東海道の脇往還です。
現在は「姫街道」という名前で親しまれていますが、この名前で呼び始めたのは、幕末ごろからといわれています。
江戸時代には、正式には「本坂通」と呼ばれていました。
当時は安間新田村(東区安新町)あるいは浜松宿(中区連尺交差点)で東海道と分岐し、浜名湖北岸を通って本坂峠を越え、御油宿あるいは吉田宿(豊橋)で東海道と合流していました。
本坂通には、市野宿、気賀宿、三ヶ日宿、嵩山宿が置かれました。沿道には一里塚が配され、市野宿の西や三方原台地上には松並木が続いていました。
気賀宿の東端には気賀関所が置かれ、新居関所と同じく、「入り鉄砲と出女」の取り締まりが厳しく行われました。
本坂通(姫街道)の道筋
姫街道は古来から人々の往来が盛んで、平安時代には三筆の一人、橘逸勢が通り、戦国時代には今川や武田、徳川の軍勢の行き交う道ともなりました。
江戸時代初期には徳川家康や家光の上洛の道筋としても使われました。
その後、東海道今切渡し航路が安定して東海道の往来が盛んとなると、本坂通の利用者は少なくなっていきました。
その状況が一変するのは、1707(宝永4)年の大地震です。津波によって新居宿が被害を受けると、それまで東海道を往来していた大名行列を始め多くの人々が一挙に本坂通に押し寄せ、その後しばらくは本坂通も賑わいを見せました。
1718(享保3)年には、徳川吉宗の母である浄円院の一万人を超える行列が通り、1729年には、将軍に献上されるベトナムの大象が通りました。幕末には天璋院篤姫が通ったとの記録もあります。
気賀岩根薬師堂
その後、明治期以降には道路の付け替えや拡幅工事が進み、現在は幹線道路としての役割を果たしています(県道磐田細江線、国道362号線)。
一方で宇藤坂、長坂、小引佐から引佐峠にかけては江戸時代の道筋が残り、往時の面影を偲ぶことができます。
沿線には歴史を物語る道標、秋葉常夜燈、石仏、石碑、城跡などが多く残され、寺院や神社には多くの文化財が保存されています。
三方原追分から大谷坂の手前まで松並木が続き、一里塚も残されています。
小引佐や引佐峠からは浜名湖を眺望できます。
本坂峠には椿の原生林も保存されています。
姫街道の松並木
本坂峠 椿の原生林
このたび、姫街道の歴史を振り返り、交通機関や実際の歩き方も含め、多くの写真や詳細な地図を用いて沿線の文化財を紹介した『姫街道を歩く』を刊行しました。
販売窓口等の詳細は、「刊行物のお知らせ」ページをご覧ください。
あなたも姫街道を歩き、その歴史や自然に触れてみてはいかがでしょうか?
先月号でもご紹介しました「渋川つつじ祭り」が、5月9日(土曜日)から5月31日(日曜日)まで渋川つつじ公園にて開催されています。
五平餅などの物産展が開かれ、週末には特設ステージにて各種イベントも行われます。美しいツツジの花と山頂からの眺めは、さわやかなこの季節のおでかけにおすすめです。
周辺には、市指定天然記念物「渋川のイチョウ」「渋川のボダイジュ」や登録有形文化財「凱旋紀念門」などの文化財もあります。
この機会に歴史ある渋川のまちを散策してみては?
チラシに関するお問合わせ先:
渋川つつじ祭り事務局(TEL:053-545-0452)
満開の渋川ツツジ
4月には、こんな調査活動などを行いました。
8日 |
東区恒武町 |
西宮遺跡工事立会い |
---|---|---|
8日 |
北区細江町 |
中川森遺跡踏査 |
10日 |
南区篠原町 |
国方遺跡工事立会い |
13日 |
浜北区内野 |
井下石遺跡試掘調査 |
15日 |
北区三ヶ日町 |
尾奈地区分布調査 |
18日 |
東区和田町 |
木船廃寺跡試掘調査 |
20日 |
北区都田町 |
貴見寺東遺跡試掘調査 |
22日 |
北区三ヶ日町 |
ウズカ山貝塚踏査 |
22日 |
天竜区春野町 |
石切八幡神社所蔵和鏡写真撮影 |
27日 |
天竜区春野町 |
若身城山城跡試掘調査 |
◆海岸防災林管理広場清掃(4月23日)
職員8人で、海岸防災林管理広場の清掃を行いました。
◆ウェルカメクリーン作戦(5月10日)
約7千人の参加者で、海岸のゴミ拾いをしました。
<浜松市指定天然記念物「浜松海岸のアカウミガメ及びその産卵地」>
親と子のウミガメ教室
7月18日・7月25日・8月8日・8月29日 の全4回
※応募方法など詳細は、広報はままつ5月5日号に掲載
金装大刀(たち)は、浜松市中区森田町の鳥居松遺跡から検出された伊場大溝(伊場遺跡から?がる自然河川)の下層から出土しました。刀身には若干の欠損がみられるものの、本来は完全な状態であったとみられ、柄にはこしらえが良好な状態で遺存していました。
円頭大刀の柄頭、柄間は、ともに国内には類例のない珍しいものです。調査により、この大刀は朝鮮半島南部で製作された可能性が大きいと考えられています。
発掘速報展では、鳥居松遺跡から出土した古代の金装大刀や篠場瓦窯(しのんばがよう)から見つかった県内最古の寺院瓦の鴟尾(しび)など、2003年以降の浜松市内における発掘調査の成果をご紹介します。
※詳細は、最新情報かわら版(「発掘速報展『地下に眠る浜松の至宝』を開催します」)でお伝えしています。
<編集後記>
たくさんの文化財が沿線に点在する姫街道ですが、わたしは部分的に車で通ることはあっても、実はまだ、通して歩いたことがありません。
最近は「街道ウォーキング」がひそかな(?)ブームの模様。
あの篤姫も通ったらしい姫街道、過ごしやすくなってきたこの季節に、運動不足解消も兼ねて、少し歩いてみようかなと思います。
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