緊急情報
ここから本文です。
更新日:2023年3月24日
浜松市蜆塚遺跡には、縄文時代後期から晩期にかけて(約4000年前~3000年前)の貝塚が、大小四ヶ所あります。貝塚は、おおむかしのひとびとが貝や獣の骨などを積み上げたゴミ捨て場です。でも、大きな環状に塚を築くなど、何か別の意味があったようにも見えます。蜆塚遺跡では、内湾から河口にかけて生息する貝が多く、9割以上がヤマトシジミです。このことが、地名のもとにもなりました。
海抜29mほどの台地の上に、貝塚や住居跡が環状にならんでいます。中央には広場があるように見えますが、まだ発掘調査をしていないので、わかりません。
蜆塚遺跡周辺の旧地形図 昭和32年の地形図を使用
今は、海から遠い蜆塚遺跡ですが、縄文時代には佐鳴湖が海につながる入り江だったと考えられます。蜆塚遺跡のすぐ北の谷にも、水面がせまっていたのでしょう。
それにしても、約30mも高低差のある台地の上まで、たくさんの貝を運び上げたことになります。
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください