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更新日:2023年4月3日
はままつの文化財
二俣城跡 現地説明会配布資料
成22年3月6日に開催した現地説明会で配布した資料です。
印刷して読みたい場合は、PDFファイルをご利用ください。
現地説明会配布資料((PDF:3,412KB))
~三方を川で固めた天然の要害、天守を備えた本格的城郭~
二俣城は、天竜川と旧二俣川で三方を囲まれた天然の要害の地にあります。丘陵の上を階段状に曲輪が設けられ、主要な施設が連なります。城の中心である本丸や二の丸には、土塁や石垣がめぐらされ、本丸の最奥には、天守台がみられます。
城郭の基本的な姿は今川氏や徳川氏によって形づくられたとみられますが、石垣や天守は、豊臣方の勢力下にある堀尾氏の領有時代(1590~1600年)に築かれたものと考えられます。
二俣城では、城の構造を確認するため、2009 年より継続的に発掘調査を実施しています。
二俣城では、昨年度の発掘調査において本丸中仕切門の礎石( そせき) と石垣の一部を確認しています。
今年度は門の全容解明を目的として、門跡全体に調査範囲を拡大しました。調査の結果、門跡の南側においても礎石と礎石の抜き取り穴を確認し、門に4 つの礎石が用いられていたことが明らかになりました。門の両側には石垣が築かれており、幅は約3.7mあります。礎石間の距離は東西約2.1m、南北約3.2mあり、門の規模が明らかになりました。
門跡からは安土桃山時代に遡る瓦が出土し、堀尾氏領有時代に瓦葺の建物が存在したと思われます。門の構造は櫓門であった可能性が考えられ、この時期に二俣城が石垣と瓦を使用した城に改修されたことが、初めて発掘調査によって確認できました。
また、今回の調査では二の丸南側堀切の調査も進めており、天目茶碗やかわらけなどの土器が出土しています。
発掘した門跡と石垣
門跡と南側の石垣
出土した遺物(瓦、天目茶碗等)
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