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更新日:2024年11月20日
原則、一般公開はしていません。
浜松市に水道が布設される前、ほとんどの家庭では井戸水を利用していましたが、人口の増加や商工業の発展に伴い、安全・安心な水を確保するため、市民の方からの水道布設を望む声は徐々に高まっていきました。
そのような中、1924(大正13)年には異常渇水により市内全域の井戸水が枯渇し、その翌年に水道を布設することが決定されました。
1931(昭和6)年に旧曳馬村(現在の中央区住吉)に旧住吉浄水場が完成し、浜松市の水道が誕生しました。
【紹介動画】
浜松市の水道が誕生した1931(昭和6)年当時の水の流れに沿って、旧住吉浄水場施設群の役割や特徴をご紹介します。
https://youtu.be/8bORFcJWt60(別ウィンドウが開きます)
普段、入ることのできない旧常光水源地ポンプ室と旧住吉浄水場ポンプ室を最新技術を使い3Dモデルで再現しました。当時へタイムスリップしたような空間をぜひこの機会にご覧ください。
https://youtu.be/h2mwzzfgn0E(別ウィンドウが開きます)
https://youtu.be/_UcX3xe_k1Q(別ウィンドウが開きます)
旧住吉浄水場は、旧浜松市一円の市民の方へ、安全・安心な水を届け続けていましたが、1970(昭和45)年には大原浄水場(中央区大原町)が完成し、その3年後の1973(昭和48)年に、浄水場としての役割を終えました。
現在、旧住吉浄水場は浜松市上下水道部住吉庁舎となっていますが、多くの水道施設が当時の姿のまま現存しており、貴重な遺産となっています。
2012(平成24)年には「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として、これら水道施設が国の登録有形文化財となりました。
登録有形文化財プレート
登録有形文化財とは
国土開発や都市計画の進展、生活様式の変化等により、消滅の危機にさらされている多様な近代の文化財建造物を後世に幅広く継承していくための制度。
登録の要件としては、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」「造形の規範となっているもの」「再現することが容易でないもの」などがあります。
番号 |
名称 |
役割/備考 |
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1 |
旧常光水源地ポンプ室 |
天竜川から取水し、内部に備え付けられているポンプにて、約8km離れている旧住吉浄水場まで水を圧送していました。 中央区常光町に現存しています。 |
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2 |
旧住吉浄水場 |
旧常光水源地ポンプ室から送られてくる水の勢いを止め、ろ過池(※)へ水を送っていました。 (※)水の汚れを取り除くための池のこと。3つの池があり、それぞれ単独でろ過池としての機能を有していました。現在は庁舎や駐車場になっています。 |
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3 |
旧住吉浄水場 |
ろ過池できれいになった水の水質を均等にしていました。 |
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4 |
旧住吉浄水場 |
接合井を経た水を貯蔵していました。 2つの池があり貯水量は7,000t、平成31年3月まで使用されていました。 |
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5 |
旧住吉浄水場 |
配水池から市民の方へ水を届けるため、高台にある地域(高区)へ届ける水と、低地にある地域(低区)へ届ける水とを分けていました。 低区の市民の方へは直送ポンプ井から、自然流下方式により水を届けていました。 |
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6 |
旧住吉浄水場ポンプ室 |
高区の市民の方へ、内部に備え付けられているポンプにて水を届けていました。 また、火災用ポンプも備え付けられており、防災基盤としても機能していました。 |
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7 |
旧住吉浄水場正門 |
旧住吉浄水場の敷地南に向いています。 |
水道施設文化財の特徴
当時の浜松市が工業都市として発展するための、重要な産業基盤としての役割を担っていたことが現されています。
また、各施設とも装飾にもこだわった造りとなっており、当時の人々が水を大切にしていたことが伺えます。
施設の見学について
現在も使われている水道施設も含まれているため、原則、公開はしておりません。学校における授業の一環や研修目的等で見学を希望する場合は、事前の申し込みが必要となりますので、下記へお問い合わせください。
【資料】
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