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更新日:2023年11月1日
浜松城の本丸は、江戸時代の絵図から、周囲に石垣や堀が巡り、大規模な門や櫓が立ち並ぶ様子がみられ、城内で最も荘厳化されていたことが窺える。
一方で、本丸は明治時代以降に東側部分が大きく改変され、これまで規模や構造が不明確な状態であった。
しかし、元城小学校跡地において2019~2021年度(令和元~3年度)に実施した発掘調査において、本丸の東堀や本丸北東部隅の石垣を確認した。
本丸の規模は、石垣や堀の斜面の裾部を基準にすると南北130m、東西90mほどであったと捉えられる。
本丸の周囲に巡らされた石垣や堀は安土桃山時代以前に築かれ、江戸時代を通じて維持されたとみられる。
発掘調査により発見された本丸北東部隅の石垣 | ||
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発掘調査の様子 | 石垣は最大6段(高さ1.7m)が残存していた |
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