緊急情報
ここから本文です。
更新日:2026年3月5日

写真提供:加藤選手
2024(令和6)年、アメリカのカリフォルニア州で行われたパラサーフィン世界大会(ISAワールド・パラ・サーフィン選手権)のスタンド1(上半身に障がいがあるクラス)で優勝した浜松市出身の加藤真吾選手(49歳)にお話を伺いました。
サーフィンを始めたのは20歳の時。高校時代、バイク事故に遭い、今も右肘から先は力が入らず、グーやパーもできない状態です。友人たちがサーフィンを楽しむ様子を見ているうちに興味を持ち、海に入るようになりました。もともと水泳を習っていたので、パドリング(板の上で水をこぐ動作)はうまくできましたが、そこから板の上に立つのが難しくて、苦労しました。練習を重ねてなんとか板の上に立てた時、うれしさと同時に波に乗る爽快感を感じて、サーフィンの楽しさにすっかり魅了されました。
実は最近なんです。サーフィンを始めた頃はまだ、「パラサーフィン」は競技として確立されていませんでした。長い間、趣味の延長として健常者と同じ大会に参加して楽しんでいましたが、2021(令和3)年に国内でパラサーフィンの大会があることを知りました。初めて参加した時、「こんなに多くの仲間がいるんだ」と驚きました。そこで優勝することができ、もっと上を目指してみたいと思いました。2023(令和5)年、全日本選手権で優勝して日本代表として世界大会に出場することができました。
初めての世界大会は緊張でかなりガチガチになっていました。「このままでは日本に帰れない」という気持ちで自分を追い込み、途中から開き直って波と向き合うことに集中した結果、2位で表彰台に立つことができました。
2度目の世界大会では、「良い波だけに狙いを定める」と決めました。頭の中をシンプルにして、やるべきことと、やらなくてもよいことを明確にしたところ、焦らず集中することができ、優勝につながりました。

世界大会優勝直後、仲間に担がれ笑顔を浮かべる加藤選手
人それぞれ競技スタイルが違うことです。僕たちは「アダプティブ(適応する)」という言葉をよく使います。例えば、僕は右手は力が入らないので肘を付いて立ち上がりますが、足が不自由な選手は、正座のような体勢で波に乗ることもあります。パラサーフィンは障がいの程度や種類によって9つのクラスに分けられます。各々が自分のハンディをどのように乗り越えて、波に適応していくのか。それがパラサーフィンの見どころだと思います。
2032(令和14)年にオーストラリアで開催予定のブリスベンパラリンピックで、パラサーフィンが採用されれば、そこで金メダルを取ることが一番の目標です。
「いつも笑っていること」が大切だと思います。世界大会の直前、絶不調だった僕に、日本代表チームの仲間が「うまくいかない時こそ、笑っていればいいんだよ」と声をかけてくれました。悩みがすっと消えて、心が楽になりました。笑顔でいれば、必ず明るい未来が待っていると信じています。
大会公式Instagram
https://www.instagram.com/namimatsuri_hamamatsu?igsh=MXJrOGk1bDYyamNuNQ%3D%3D(別ウィンドウが開きます)
主催者Instagram
https://www.instagram.com/nomark_adapt?igsh=MXV6ZGs3Zjg5dDFnaQ%3D%3D&utm_source=qr(別ウィンドウが開きます)

砂浜に埋もれず車いすで移動できるマットや、水陸両用の車いすを用意します。
海はみんなに公平です!
ぜひご来場ください。
浜松市公式noteでも「LOVE SPORTS」を読むことができます。
https://hamamatsu-city.note.jp/m/m35a456cb5613(別ウィンドウが開きます)
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください