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更新日:2022年12月13日
家康公が浜松で過ごしていた頃の足跡を巡ってみようかの。
家康公の三男で二代将軍の徳川秀忠公が出生した地。
※出生地とされる場所は2説あり、もう1説は現在の浜松城内。
秀忠公は、天下人の中で唯一の浜松生まれ!
椿姫とは、家康公に城を攻め落とされ討ち死にした引間城の女城主のこと。その死を哀れに思った家康公の正室・築山(つきやま)御前が100株あまりの椿を植えてまつったといわれています。
1568年、三河から遠江に入った家康公は今川方の拠点だった引間城を攻略しました。現在の東照宮は、家康公を祭神として明治時代に創建されました。
三方ヶ原の戦いに負け、浜松城に逃げ帰った家康公が鎧よろいを脱いで松に掛けたと言われていることが由来。現在の松は3代目。
1570年、家康公が29歳のとき、引間城の西側一帯へと城域を拡張して、名を浜松城と改めました。その後45歳までの17年間、ここを居城とします。城下には家臣団を配置し、商工業者を住まわせました。当時の浜松城は、堀や土塁などに囲まれた、土づくりの城でした。
家康くんのお散歩メモ
市内のゆかりの地は他にも多数あるのじゃ!
若かりし頃の17年間を浜松で過ごした家康公。浜松が天下をとるための重要地域だったことを、100を超える城跡の存在が物語っているのじゃ。ここではそのうち2つを紹介するのじゃ。
二俣城跡〜武田軍との攻防〜
天竜川と二俣川に挟まれた山城。
戦国時代、徳川軍と武田軍との戦が繰り広げられた。現在は天守台や大手門などの石垣が残っている。
鳥羽山城跡〜攻略の本陣〜
家康公が二俣城を攻める際に築いた4つの砦(とりで)のうち、最も規模が大きい砦の跡。丘の上にあり、天竜川や平野を見渡せる。
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