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更新日:2019年11月15日
国の文化審議会は、11月15日に開催された同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、光明山古墳(天竜区山東)を国史跡に指定するよう文部科学大臣に答申しました。
今後の官報告示をもって、浜松市で4件目の国指定史跡が誕生します。浜松市における国史跡の指定は、三岳城跡(浜名区引佐町、1944年指定)、蜆塚遺跡(中央区蜆塚四丁目、1959年指定)、二俣城跡及び鳥羽山城跡(天竜区二俣町、2018年指定)に続くものです。
※国指定史跡とは我が国にとって歴史上又は学術上価値が高く、継続的な保護・活用が必要な遺跡等をさし、国の文化審議会の答申を経て、文部科学大臣が指定するものです。
概 要
光明山古墳(墳長83m)は、天竜区山東に所在する浜松市内最大の前方後円墳です。平成30年(2018)に浜松市教育委員会が実施した発掘調査によって、墳丘全体を2段に造り、斜面には葺石が敷かれ、墳丘上には埴輪が並べられていたことが判明しました。とくに、後円部北側の調査区では、上段墳丘の葺石が、基底部から墳頂部までの高さ約6.8mにわたり、ほぼ完全な状態で残っていました(写真)。このようなことは全国的にも珍しいことです。埋葬施設は未調査ですが、墳丘の形状と埴輪の特徴から、5世紀中頃に築造された古墳と考えられます。
特 徴
光明山古墳は内陸性の地理的条件をもつ天竜の地に築かれた唯一の前方後円墳です。その前後に大型古墳が認められず、独立性が高い点にも特徴があります。この特異性を理解する上で、古墳のすぐ脇を通る秋葉街道の存在は無視できません。光明山古墳が立地する天竜の地は、遠江の南部地域や信濃への通行にとどまらず、奥三河や遠江東部にも繋がる交通の要衝です。古墳の立地環境からは、光明山古墳の被葬者には陸上交通網の開拓や掌握が期待されていたと捉えられます。光明山古墳の墳丘形態には近畿地方中枢部と共通する設計原理が見出せ、倭王権との密接な関係がうかがえます。いっぽうで、古墳の段築数は2段であり、円筒埴輪と朝顔形埴輪を限定的に用い、独特の形状をみせる埴輪群を採用していることなど、個性も見いだせます。このように、光明山古墳は内陸部に立地する古墳時代中期中葉の地域首長墳として特徴ある姿を示しており、古墳時代の歴史を知る上で学術的価値が高いことが評価されました。
交通案内 遠鉄バス 「光明山口」バス停下車 徒歩10分
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