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更新日:2014年4月22日
浜松市文化財情報/Vol.75
Vol.75平成26年4月15日
去る3月18日(火曜日)、国の文化審議会は方広寺(北区引佐町奥山)の木造釈迦如来及両脇侍坐像(もくぞうしゃかにょらいおよびりょうきょうじざぞう)を重要文化財に指定するよう文部科学大臣に答申しました。この結果、近日中に行われる官報告示を経て、市内の重要文化財(美術工芸品)は累計14件となります。彫刻の国指定は、摩訶耶寺(北区三ヶ日町)の木造千手観音立像、木造不動明王立像、岩水寺(浜北区根堅)の木造地蔵菩薩立像に続き4件目となります。
本像を御本尊する方広寺は、南北朝時代の建徳2年(1371)、当地を治めていた豪族奥山六郎次郎朝藤の招きにより、後醍醐天皇の皇子無文元選禅師(むもんげんせんぜんじ)によって開創された名刹で、臨済宗方広寺派の大本山です。過去、幾度となく火災にあい伽藍が焼失したが、明治14年(1881)の大火の後復興を遂げました。その際、半僧坊真殿が焼け残ったことから、方広寺の鎮守である半僧坊の信仰が広がり、現在も全国から多くの参拝者が訪れています。同じく類焼を免れた七尊菩薩堂は静岡県下最古(応永8年/1401)の木造建造物で、国指定重要文化財(建造物)に指定されています。
右脇侍(普賢菩薩)
中尊(釈迦如来)
左脇侍(文殊菩薩)
<法量> 像高 中尊(釈迦如来)104.2cm、左脇侍(文殊菩薩)56.8cm、右脇侍(普賢菩薩)55.6cm
<時代> 南北朝時代(観応3年/1352)
<作者> 中尊(釈迦如来)院吉、院廣、院遵左脇侍(文殊菩薩)院廣右脇侍(普賢菩薩)院遵
<特徴> 南北朝時代の観応3年(1352)、院派(いんぱ)の仏師院吉(いんきつ)を統率者とし、両脇侍を院廣(いんこう)・院遵(いんじゅん)が造った釈迦三尊像です。かつて常陸国(茨城県)清音寺の本尊として伝わり、明治時代に方広寺の本尊として移されました。
像の姿は三尊とも面長、切れ長の目や幅の広い鼻を持つ特徴ある顔立ちであり、衣文(えもん)は強く屈曲する線を多用し、彫りに深浅の変化が見られます。平成23・24年度の2か年度にわたる保存修理を行い、一部普賢菩薩の台座が室町時代の後補であることが分かりましたが、衣の金泥塗や精緻な金工技法による装身具等が残り、総じて造立当初の華やかな姿をとどめています。
鎌倉末期の院派の持つ技巧的な作風と技法上の特色を持ちながら、南北朝時代に造像された仏像として、また、14世紀院派仏師の造仏の基準作としても貴重です。
本像はこの時代の第一人者院吉の作品として、大きさと出来ばえにおいて、同時期を代表する作例として高く評価されました。
*4月15日現在、本像は東京国立博物館へ出品中のため拝観することはできません。方広寺本堂で拝観できるのは6月1日(日曜日)からです。
浜松市浜北区宮口の吉名古窯跡群(よしなこようせきぐん)では、今から約1,000年前の平安時代に灰釉陶器(かいゆうとうき)を生産していました。
灰釉陶器とは、平安時代に用いられた土器の一種で、浜北区一帯で生産が行われていました。表面には、植物の灰を釉薬として用いた独特の輝きがあり、優れた土器として近畿地方や東海地方を中心に全国各地に運ばれていました。
1959年に発掘調査された吉名1号窯では、多数の灰釉陶器が出土し「ものづくりのまち・浜松」のルーツを探る上で重要な遺跡と言えます。今回、発掘調査から55年の時を経て、その全貌を記した報告書を刊行しました。
浜松市文化財課(市役所本館3階)
浜松市博物館
浜北区役所(まちづくり推進課)
引佐協働センター
住所・氏名・電話番号・冊子名・部数を記入のうえ、【郵便小為替(代金2,000円)・送付用切手(1部の場合350円、複数の場合は送料をお問い合わせください)】を封入し、下記あて先までお送りください。
【あて先・問い合わせ先】
〒430-8652浜松市中区元城町103-2 浜松市役所文化財課あて
Tel.053-457-2466
<円面硯と風字硯>
3月には、こんな調査活動などを行いました。
1日 |
(土曜日) |
中区常磐町 |
建築士会シンポジウム参加 |
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中区・南区 | 国県指定文化財所在確認調査 | ||
2日 | (日曜日) | 博物館 | 文化財防災ボランティア講座1参加15人 |
3日 | (月曜日) |
中区・南区 |
国県指定文化財所在確認調査 |
北区大原町 | 近代建築資料調査 | ||
北区引佐町 | 円通寺境内塚予備調査[~10日] | ||
4日 | (火曜日) | 市役所本庁 | 姫街道の松並木保存管理庁内連絡会(第3回) |
西区馬郡町 | 殿道東遺跡予備調査 | ||
6日 | (木曜日) | 中区東伊場 | 中村遺跡予備調査 |
天竜区春野町 | 勝坂神楽保存会との意見交換 | ||
7日 | (金曜日) | 天竜区水窪町 | 浜松戦国山城まつり実行委員会(第3回) |
8日 | (土曜日) | 西区雄踏町 | 農村歌舞伎活性化プラン映像作成立会い |
9日 | (日曜日) | 博物館 | 文化財防災ボランティア講座2参加12人 |
10日 |
(月曜日) |
中区南伊場町 |
伊場遺跡工事立会い |
11日 | (火曜日) | 中区元城町 | 浜松城跡工事立会い[~12日] |
中区南伊場町 | 梶子遺跡工事立会い[~12日] | ||
13日 | (木曜日) | 北区引佐町 | 方広寺木造釈迦如来及両脇侍像報道説明会 |
天竜区春野町 | 瑞雲院山門保存修理委員会 | ||
14日 | (金曜日) | 中区南伊場町 | 梶子遺跡工事立会い |
北区都田町 | 中津遺跡予備調査 | ||
16日 |
(日曜日) |
博物館 |
文化財防災ボランティア講座3参加15人 |
東区半田山 | 地域回想法シンポジウム | ||
北区引佐町 |
横尾歌舞伎少年団退団式 |
||
天竜区春野町 |
日本刀入門公開講座参加58人 |
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17日 | (月曜日) | 中区南伊場町 | 伊場遺跡工事立会い |
18日 | (火曜日) | 北区三ヶ日町 | 摩訶耶寺庭園環境整備事業完成検査 |
20日 | (木曜日) | 静岡市駿河区 | 伊伝財団文化財保護振興奨励賞授賞式参加 |
24日 | (月曜日) | 北区引佐町 | 出前講座「文化財行政の仕組み」参加35人 |
25日 | (火曜日) | 浜北区根堅 | 寺海土遺跡予備調査 |
26日 | (水曜日) | 北区細江町 | 遠江のひよんどりとおくない連絡協議会 |
27日 | (金曜日) | 中区南伊場町 | 伊場遺跡工事立会い |
29日 | (土曜日) | 天竜区二俣町 | 新指定記念見学会「もっと知りたい!鳥羽山城」参加130人 |
市指定無形民俗文化財「犬居つなん曳」 |
犬居つなん曳 平成26年5月5日(月曜日・祝日) |
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~この記事は、浜松市メールマガジンとリンクしています~
今年度も浜松市博物館と文化財課から、浜松市内の歴史遺産をご紹介するコラムをお届けいたします。2014年は、東海道新幹線が開業してから50周年、また身近な地域では奥山線が全線廃止となってからも50周年にあたります。そこで、博物館では夏休みに「みんなでGO!はまはく鉄道博」というテーマ展を開催いたします。あわせて、このコラムでは市内に走っていた鉄道遺産をご紹介してまいります。
東海道本線は明治21年(1888)に浜松駅から西が開通し、その年のうちに天竜川鉄橋が完成したことにより、翌22年に静岡~浜松間が開業して全線開通に至りました。これらは軌道1,067ミリメートルの日本では標準のレール幅ですが、政府は民間の資力も導入して鉄道網の充実をはかるため、比較的低資金で建設できる軌道762ミリのいわゆる軽便鉄道を認可しました。市域でも明治42年の中ノ町線をはじめ、のちの西鹿島線、同奥山線、宮口線、笠井線が開業します。このほか昭和5年(1930)には、軌道1,067ミリの光明電気鉄道が二俣に乗り入れました。
飯田線や二俣線、実現しなかった佐久間線跡も含め、市内にはさまざまな鉄道がありました。これから1年間、当課からご案内いたします。
<遠州電気鉄道案内(1920年頃)>
4月からの文化財課は新たなメンバーも加わり、市内の歴史文化遺産の保護と活用につとめています。新人職員も含めて、市内の文化財の現状確認にも出かけています。あらためて、市内には、天然記念物や無形民俗文化財をはじめ豊富な文化財が伝えられていることに気が付きました。(0)
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