緊急情報
ここから本文です。
更新日:2014年3月17日
浜松市文化財情報/Vol.74
Vol.74平成26年3月15日
天竜区二俣町にある鳥羽山城跡が平成26年2月25日をもって浜松市の史跡に指定されました。鳥羽山城跡に残る遺構の多くは、豊臣秀吉の家臣、堀尾吉晴が西遠江を領有していた頃(1590-1600年、安土桃山時代)に構築されたと考えられ、江戸時代以降大きな改変を受けていません。隣接する二俣城跡と比べて居館的性格が強いことに加え、土つくりの中世的な城郭から石つくりの近世的な城郭へと転換する移行期の姿を良好に伝えていることが高く評価されました。
鳥羽山城跡の指定により、浜松市内の指定史跡は79件(国指定2件、県指定10件、市指定67件)を数えます。
<本丸通用門>
鳥羽山城は、旧二俣川(二俣川は江戸時代に現在の流路に付替)と天竜川によって三方を挟まれた天然の要害に立地します。東西1km、南北400mほどの独立丘陵上全体に堀切(ほりきり)や曲輪(くるわ)などが分布していますが、城郭遺構の中心は標高108mの鳥羽山山頂とその周辺に展開しています。鳥羽山城の起源は必ずしも明確でありませんが、戦略上重要な地点として室町時代には山城としての体裁を整えていったとみられます。
<鉢巻石垣>
鳥羽山城は、天正3年(1575)、徳川家康が当時武田方にあった二俣城を攻めるために陣を置いた地として知られていますが、現在残る遺構の大部分は、天正18年(1590)、家康が関東に転封した後に当地に入った堀尾吉晴による大改修後のものです。堀尾氏は本丸を中心に、腰巻、鉢巻2段の石垣を構築し、本丸内に枯山水の庭園を築きました。また、本丸の南東側には、大手門に至る舞台装置として、幅6mを超える破格の規模をもつ大手道がつくられています。対岸の二俣城には天守や瓦葺きの建物などが備えられ、戦時用の機能を高めていったことに対し、鳥羽山城は解放的な空間が志向され、領主が日常生活を送るとともに迎賓館的機能も果たしたとみられます。機能の異なる施設が組み合う二俣城・鳥羽山城は「別郭一城」とも呼ばれ、両者は密接な関係を保ちながら使用されました。安土桃山時代特有の栄華を誇った両城でしたが、慶長5年(1600)、関ヶ原の戦い後には堀尾氏が出雲に転封になり、ほどなくして廃城とされました。
<本丸内の庭園遺構>
<庭園遺構イメージスケッチ>
―もっと知りたい!鳥羽山城―
日時:2014年3月29日(土曜日)午前10時~午前11時30分
会場:鳥羽山城跡本丸(受付:鳥羽山公園駐車場)
内容:鳥羽山城跡に残る遺構の解説、新指定にかかわり評価された遺構※調査担当職員が説明します
申し込み:不要、直接会場にお越しください
アクセス:天竜浜名湖鉄道二俣本町駅から徒歩約20分、または遠州鉄道バス停「鳥羽山公園入口」から徒歩約15分
備考:雨天でも開催いたします
<姫街道の松並木>
県道磐田細江線の中区葵東三丁目から西区大山町にかけて続く「姫街道の松並木」は、市指定文化財である史跡です。樹齢150年~200年の古木を含む並木が約4kmに渡って続き、往時の街道の姿を偲ばせています。
平成25年7月、姫街道沿いの畑の敷地内で、姫街道の松並木の子孫と思われる小さな松の木が見つかりました。高さ30cm~1mほどの松が3本、その周囲にはさらに小さな5cm~10cmの松の苗木が地面の所々から顔を出していました。苗木のはるか上方には立派な黒松が枝を広げており、姫街道の松並木から種が飛んで、そこから自生した松であることがわかりました。
発見された松は畑の所有者の方からいただき、姫街道の松並木の子孫として街道沿いの別の場所に移しました。また同じ場所にあった苗木は、まだまだ並木としては小さいため、文化財課で栽培を始めました。拾い上げた31本の苗木のうち、21本が厳しい夏の暑さを乗り越え、現在は、はままつフラワーパーク内で専門家に見守られながら元気に育っています(一般公開はしていません)。
姫街道の松は、様々な要因で以前より減ってしまいましたが、この苗木がすくすくと育ち、いつか姫街道の松並木の一本となれるよう、文化財課では見守ってまいります。
2月には、こんな調査活動などを行いました。
1日 |
(土曜日) |
北区引佐町 |
東久留女木の万歳楽伝承状況現地調査 |
---|---|---|---|
2日 | (日曜日) | 北区引佐町 | 横尾歌舞伎伝承状況現地調査 |
4日 | (火曜日) | 市役所本庁 | 第3回文化財保護審議会 |
5日 | (水曜日) | 南区渡瀬町 | 上組遺跡工事立会 |
6日 | (木曜日) | 西区坪井町 | 坪井町新田北遺跡工事立会 |
7日 | (金曜日) | 北区細江町・引佐町 | 国県指定文化財所在確認調査 |
9日 | (日曜日) | 中区中央一丁目・地域情報センター | 文化財講座「災害をのりこえた江戸時代の村人たち」参加120人 |
10日 |
(月曜日) |
天竜区水窪町 |
西浦の田楽伝承状況現地調査 |
13日 | (木曜日) | 北名古屋市 | 地域回想法先進事例調査 |
15日 | (土曜日) | 中区西浅田 | 高柳遺跡工事立会 |
16日 | (日曜日) | 北区細江町・三ヶ日町、天竜区春野町 | 国県指定文化財所在確認調査 |
17日 |
(月曜日) |
西区~南区 |
海岸駐車場清掃(西区・南区連携) |
浜北区於呂 | 芝本遺跡工事立会 | ||
天竜区水窪町 |
西浦の田楽伝承状況現地調査 |
||
18日 |
(火曜日) |
西区篠原町 |
篠原町本村遺跡予備調査 |
20日 | (木曜日) | 南区若林町 | 城山遺跡発掘調査[~21日] |
南区増楽町 | 増楽遺跡予備調査 | ||
23日 | (日曜日) | 北区細江町 | 東林寺山門保存修理現場特別公開 |
中区旭町 | 出前講座「浜松城の変遷」観光ボランティアガイドの会参加90人 | ||
24日 | (月曜日) | 中区南伊場 | 梶子遺跡工事立会 |
25日 | (火曜日) | 東区笠井上町 | 笠井上組遺跡予備調査 |
西区大山町 | 姫街道の松並木緊急調査 | ||
26日 | (水曜日) | 南区参野町 | 国県指定文化財所在確認調査 |
28日 | (金曜日) | 中区南伊場 | 伊場遺跡工事立会 |
中区、南区、北区引佐町 | 国県指定文化財所在確認調査 |
市指定史跡「鳥羽山城跡」 |
新指定記念見学会「もっと知りたい!鳥羽山城」 平成26年3月29日(土曜日) |
---|---|
文化財講座 |
文化財防災ボランティア養成講座(3回目) 日時:平成26年3月16日(日曜日)午後2時~午後4時 場所:浜松市博物館講座室 |
文化財特別講座「浜松の文化財の魅力」 日時:平成26年3月16日(日曜日)午前10時~午前11時30分 場所:浜松市博物館講座室
申込:電話で文化財課まで(電話053-457-2466) |
~この記事は、浜松市メールマガジンとリンクしています~
昨年4月からのメ-ルマガジンでは、古文書や絵図、言い伝え、あるいは遺跡を通して、浜松の災害の歴史を振り返ってきました。この地に伝えられてきた様々な歴史資料は、大地震や津波、高潮災害、天竜川の氾濫などの恐ろしさを、生々しく伝えています。また災害に際して、当時の人々がどのような行動を取ったのか、どのような備えをしていたのか、あるいはなぜ被害が増大したのかなど、災害と人々のかかわりについても、さまざまな情報を読み取ることができます。
前近代は、いまほど防災技術が発展していたわけではありません。それがゆえに、被害を少しでも少なくするために、知恵をしぼって身を守ろうとしました。こうした先人の足跡を丹念に調べていくと、これからの防災計画を具体化していくうえで、参考となる多くの情報を私たちに与えてくれます。文化財課・博物館では、これからも浜松に残る災害関係の資料の調査を進めてまいります。
東日本大震災では文化財も多数が被災しました。文化財の喪失は、今まで伝えられてきた地域の歴史が途切れることにも意味します。そこで被災した文化財の救出・修復に、専門家のみならず、多くの地域住民が参加したところもあります。文化財を守ることは、私たちの住む地域の歴史や文化のみならず、それを引き継いだ私達自身の生活や文化を後世に伝えていくことにもつながっていくと思います。
浜松市では、文化財防災ボランティア養成講座を毎年実施しており、今年が3年目となります。講座では浜松の文化財の概要説明や古文書の修復技術実習(初歩)、東北の文化財レスキュー活動紹介等を行っています。そんなに堅苦しい講座ではありませんし、ボランティアとしての活動を条件としているわけでもありません。浜松の文化財を学びながら、いざというときにはどうしたらよいのか、みんなで一緒に考えていきましょう。
<古文書修復技術実習>
合併からまもなく9年、文化財課となって4年が経過し、当初は試行錯誤の連続であった文化財保護行政も移行期を過ぎ、ようやく浜松市としての枠組みが定まってきたと思います。これからも市内の貴重な文化財を確実に後世に伝えるとともに、文化財が持つ魅力を広く発信してまいります。引き続き、みなさまのご支援・ご協力をお願いいたします。(さ)
→「文化財情報」バックナンバーに戻る
→文化財トップに戻る
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください