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更新日:2013年9月26日
浜松市文化財情報/Vol.67
Vol.67平成25年8月15日
「佐久間の林業と山村生活の用具」(220種1,105点)が、平成24年11月、静岡県の有形民俗文化財に指定されました。
これを記念して浜松市博物館ではテーマ展「山と川に生きる」を、9月1日(日曜日)まで(期間中無休)開催しています。佐久間町の林業にかかわる山樵(さんしょう)用具や材木の運搬用具など機械化以前の多様な諸用具、山村の生活を支えた焼畑に関係する農具、狩猟用具、衣食及び信仰にかかわる諸用具などを展示しています。
キンマ
火の神を祭る赤いゴヘイと、水の神を祭る青いゴヘイをたて、命あるものに対し飛べるものは飛んで、這うものは這って逃げていけと唱えながら山を焼く・・・・・土地の9割が山で、焼畑を拓き(ヤマヅクリ)生活してきた人々の、自然に対する畏敬の念がうかがえる資料です。
二又に分かれた木の枝で作った“バイ”、焼畑で収穫するアワ、ヒエ、ソバや、ダイズ、アズキなどを、これ一本で脱穀します。
“ニンボウ”は、枝がついた棒で、枝をrかpの形に曲げてあります。セイタ(背負子)で荷を担いで歩くとき、これを杖にしたり、休憩のときに下にかって支えにします。
バイ
ニンボウ
水田が乏しく耕作面積が限られた山間の生活で、焼畑で収穫する雑穀は常畑のムギとともに貴重な日常の食料でした。加工に手間のかかるソバキリやウドンは、物日(ものび)や来客の際のご馳走でした。
佐久間町には、農機具を専門に作る“農カジ”、山仕事に欠かせないナタやカマなどを作る“刃物カジ”、ノコギリを専門に作る“ノコギリカジ”という鍛冶屋がありました。“カワムキガマ”や“コビキノコ”をみると、使う人の好みや技量に合わせて作られたのでしょうか、どれ一つとして同じ顔をしていません。
カワムキガマ
コビキノコ
1トンを越す木材を“キンマ(木馬)”というソリに載せ一人で山から降ろす「キンマ曳き」、“ハビロヨキ”という斧1本で丸太から角材や板を削りだす“ソマ師”、“コビキノコ”で丸太から板を切り出す“コビキ師”、いずれも機械化した現在からは想像もできない高度な技能をもった人々です。
小正月には、日頃世話になっている農具や山仕事の道具達にも餅を供え、人と同じようにひとつ年をとります。自然をあがめ、道具の命を大切にし、一年の仕事が始まります。
小正月の行事に供えられる“ニューギ”は、クリやカシの割り木に墨で書かれた線を、鬼が何度も数えなおしているうちに夜が明けてしまい逃げていく、という厄除けの道具です。
佐久間町の皆様の手で集められ、さくま郷土遺産保存館(現在は閉館)に展示されてきた「佐久間の林業と山村生活の用具」をこのテーマ展で広く市民の皆様にご紹介するとともに、新たに地元での公開もはかりながら、これからも貴重な民俗文化財として保存・活用をして参ります。
開催期間:7月23日(火曜日)~9月1日(日曜日)(会期中、休館日はありません)
開館時間:午前9時~午後5時
開催場所:博物館・特別展示室
入館料:大人300円、高校生150円(次の方は無料:中学生以下の子ども、70歳以上の方、障がい者手帳をお持ちの方)
梶子遺跡(中区南伊場町)の発掘調査で、シカが描かれた絵画土器が出土しました。市内では2例目の発見となります。約1,900年前の弥生人によって描かれたものです。梶子遺跡は弥生時代の大規模なムラの跡で、環濠と呼ばれる溝に囲まれていました。環濠からは、これまでの調査でも大量の弥生土器が出土しています。
シカが描かれた土器は、ムラの中心部分と考えられている場所から見つかりました。絵は壺の表面に線を刻み込んで表現されており、後ろ脚と胴部の一部は欠けていますが、特徴的な角は大きく表現されています。弥生時代の人々にとって、シカは実りと関係のある神聖な生き物と考えられており、銅鐸などお祭りの道具にも描かれることがあります。今回見つかった壺も収穫や豊作を祝うなど、お祭りに使われたのでしょう。
このほか梶子遺跡では、通常のムラでは見られない珍しい形や模様の付いた土器、ミニチュア土器などが数多く出土しています。弥生時代の中心的な集落として、お祭りや儀式を行っていたのかもしれません。
シカが描かれた土器は、8月25日まで浜松市博物館で展示されています。
7月には、こんな調査活動などを行いました。
1日 | (月曜日) | 北区細江町 | 東林寺山門保存修理委員会準備会 |
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北区三ヶ日町 | 村上遺跡本発掘調査[~2日] | ||
8日 | (月曜日) | 北区細江町 | 石岡遺跡2次本発掘調査[~12日] |
9日 | (火曜日) | 北区引佐町 | 川名のひよんどり後継者育成事業現地調査 |
12日 | (金曜日) | 中区葵西五丁目 | 姫街道の松並木・実生の松移植工事立会 |
浜北区・浜北文化センター | 企画展「浜松の渡来文化と埴輪群像」開始[~9月1日] | ||
13日 | (土曜日) | 浜北区・浜北文化センター | 企画展「浜松の渡来文化と埴輪群像」ギャラリートーク |
16日 | (火曜日) | 天竜区二俣町 | 清竜中学校総合学習へ講師派遣 |
18日 | (木曜日) | 中区・アクトシティ浜松ほか | 指定都市文化財行政主管者協議会[~19日] |
22日 | (月曜日) | 北区三ヶ日町 | 殿畑遺跡2次本発掘調査[~30日] |
天竜区春野町 | 瑞雲院山門保存修理委員会 | ||
23日 | (火曜日) | 北区引佐町 | 龍潭寺井伊家霊屋現状調査 |
28日 | (日曜日) | 浜北区・浜北文化センターほか | 二本ヶ谷積石塚群県指定記念講演会、古墳めぐりウォーク |
30日 | (火曜日) | 浜松市博物館 | 梶子遺跡鹿絵画土器速報展示[~8月25日] |
31日 | (水曜日) | 北区引佐町 | 鈴木家住宅主屋・釜屋現状調査 |
4日 | (木曜日) | 東区笠井町 | 笠井下組遺跡 |
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23日 | (火曜日) | 中区和合町 | 権現谷遺跡 |
26日 | (金曜日) | 天竜区渡ヶ島 | 百々原遺跡 |
29日 | (月曜日) | 南区東若林町 | 村裏遺跡 |
3日 | (水曜日) | 中区南伊場町 | 梶子遺跡 |
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5日 | (金曜日) | 南区高塚町 | 高塚遺跡 |
8日 | (月曜日) | 中区南伊場町 | 梶子遺跡 |
北区引佐町 | 北神宮寺遺跡 | ||
10日 | (水曜日) | 東区貴平町 | 恒武西宮遺跡 |
19日 | (金曜日) | 北区引佐町 | 本屋敷遺跡 |
24日 | (水曜日) | 北区引佐町 | 北神宮寺遺跡 |
平成25年8月17日(土曜日) |
国指定重要無形民俗文化財「川名のひよんどり」 |
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はにわゼミナール 平成25年8月31日(土曜日) 午前10時~12時/市民ミュージアム浜北(浜北区貴布祢) 参加費・申込み不要 |
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文化財体験ワークショップ「つみいしづかをつくろう!」(全3回) 対象:3回とも参加できる人 費用:無料 |
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三遠南信しろあとセミナー 費用:100円(保険代) |
(この記事は、浜松市メールマガジンとリンクしています)
浜松周辺では、古来多くの地震被害を受けてきました。なかでも安政東海・南海地震は、市内に残る古文書からその被害状況を詳しく知ることができます。
西区入野町の竹村家に残された『変化抄(へんかしょう)』では、嘉永7年(翌12月に安政に改元)11月4日の午前9時ころに地震(安政東海地震)が発生し、自宅が全壊したため仮小屋を建てて2週間ほど住んだことや、山崎村(現・西区雄踏町山崎)で、家が潰れ手足を挟まれた人が、村人は津波避難で逃げてしまい、置いてけぼりにされてしまったことなどが記されています。また、翌日5日の地震(安政南海地震)では、「津波が来た」との声を聞いて、持ち出した飯櫃を捨てて逃げた人や「死ぬなら一ヶ所」と泣きわめいて、麦・米を担ぎ、長持を背負って老人の手を引く人など、人々が慌てふためく様子が詳細に記されています。また、東区大瀬町の栩木(とちぎ)家の『我楽多布久呂(がらくたぶくろ)』では、11月4日の安政東海地震が発生したとき「足がよろめいて一歩も歩けず、這うにも手足が地につかず、天地が顛(転)覆するかと気も魂も失せた。眼もくらみ、長い時間庭を転がっていた。」と記され、文章の最後に「当時の状況を知る人がすでに故人となっているため、事実が後世になってわからなくなってしまうことを憂い記録しておく。当時を思い起こすと、身の毛もよだつほど恐ろしく思う。」と体験した感想を陳述しています。
そのほか、北区細江町気賀の沢木家に残る『萬日記(よろずにっき)』などにも安政地震の被害記録が残っており、2011年3月11日の東日本大震災以来、このような地域の災害記録を残した地方(ぢかた)文書の重要性は、地域の防災対策を考えるうえで、ますます高まっているといえます。
『変化抄』
猛暑日や急な大雨など、自然の脅威を思い知らされる日々が続いています。近頃、浜松市では、郷ヶ平6号墳、辺田平1号墳、梶子遺跡と「鹿」を表現した資料の出土や公開が続いています。現在は、害獣とされることが多い鹿ですが、以前は霊獣として祭祀や儀礼に多く登場しました。出土した「鹿」を観て、自然との共生を試みた先人に想いをはせてみてはいかがでしょうか。
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