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更新日:2023年3月24日
浜松市文化財情報/Vol.66
Vol.66 平成25年7月15日
この企画展示は、二本ヶ谷積石塚群が今年3月に県指定史跡に指定されたことを記念して開催するものです。積石塚をはじめとする朝鮮半島からの渡来文化に関する市内の資料とともに、近年の発掘調査等によって資料が増えている市内の埴輪を展示します。
二本ヶ谷積石塚群出土遺物
二本ヶ谷積石塚群(浜北区染地台)が築かれた5世紀代には、朝鮮半島から多くの人々が渡来して、新たな技術や文化が日本列島に伝えられました。本展示では、渡来系集団の墓と考えられている二本ヶ谷積石塚群やその周辺の古墳、同時期の集落跡である山ノ花遺跡(東区恒武町)の出土品を中心に、陶器生産、鍛冶、機織乗馬など当時渡来した文化に関する資料を紹介します。現代の私たちの生活にも影響を与えている1,600年前の“韓流”文化にご注目ください。
山ノ花遺跡出土石製品
埴輪は古墳の上や周りに立てられ、筒状の円筒埴輪と、人や動物、物などをかたどった形象埴輪に分けられます。円筒埴輪は各地の古墳で多くみられ、時期によって形が変化していくため、古墳の年代を知る目安になっています。また、形象埴輪はいくつかの種類を組み合わせて、儀式や狩りなどの場面を表現していたと考えられています。
本展示では円筒埴輪を年代順に並べることで、時期と系統による違いをご覧いただくことができます。形象埴輪は、馬・鹿・鶏などの動物埴輪や、巫女・狩人・馬曳き・力士などの人物埴輪を中心に展示しています。最近報道された郷ヶ平6号墳の埴輪(裏面参照)や、国内3例目となる珍しい“見返り鹿”の埴輪(辺田平1号墳:浜北区染地台)など、多くの埴輪が一堂に会する貴重な機会ですので、ぜひ足をお運びください。
なお、本企画展にあわせてギャラリートーク、講演会、古墳めぐりなども開催します。展示とあわせてお楽しみいただき、多くの方が古墳時代の浜松に思いを馳せていただければ幸いです。
埴輪(馬と馬曳き)
静岡県指定史跡 二本ヶ谷積石塚群 指定記念企画展
『浜松の渡来文化と埴輪群像
~二本ヶ谷積石塚群とその時代~』
会期:7月12日(金曜日)~9月1日(日曜日) ※月曜日休館
(月曜日が祝日の場合は開館し、翌火曜日休館)
時間:午前9時 ~ 午後5時
会場:市民ミュージアム浜北歴史資料館
(浜北文化センター2階)
観覧料:無料
関連イベント情報(いずれも無料・申込不要)
■ 記念講演会:
日時:7月28日(日曜日)午前9時30分 ~ 12時
会場:浜北文化センター大会議室
講師:下津谷 達男先生 「二本ヶ谷積石塚群とその周辺」
■ 古墳めぐりウォーク
日時:7月28日(日曜日)午後1時30分 ~ 午後3時(荒天中止)
会場:二本ヶ谷積石塚群(つみいしづか広場)に集合
詳細はチラシをご覧ください
(市博物館HP→市民ミュージアム浜北のページからも
ダウンロードできます)
埴輪(鶏のつがい)
埴輪(見返り鹿)
浜松市北区都田町にある郷ヶ平6号墳(6世紀前半)の発掘調査を初めて行い、全長約22mの前方後円墳であることが判明しました。
郷ヶ平6号墳は昭和20年代に埴輪が出土していましたが、近年は施設の下に埋もれ、長らく正確な位置や古墳の形が不明確な「幻の古墳」でした。今回の発掘調査によって郷ヶ平6号墳が、従来考えられていた円墳でなく、有力者だけに築造が許された「前方後円墳」であることが確定し、合わせて豊富な形象埴輪が出土しました。
出土した埴輪の中には、人物や馬、鹿をかたどったものがみられ、古墳時代の儀式の様子をうかがう貴重な資料が得られました。出土品の中でも鹿を表現した埴輪は、出土例が少ないもので、特に注目できます。鹿は森や稲作の精霊と結びつく特別な動物と考えられており、鹿の埴輪を古墳に並べることによって土地を治める正当性を広く示していたとみられます。
今回の調査によって、郷ヶ平古墳群には3基の前方後円墳(3、4、6号墳)が集中して築かれたことが判明しました。これら前方後円墳にはすべて埴輪が伴い、5世紀後半から6世紀前半にかけて、都田地区に3代にわたる安定した勢力があったと想定できるようになりました。
6月には、こんな調査活動などを行いました。
1日 |
(土曜日) |
北区引佐町 |
横尾歌舞伎後継者育成事業現地調査 |
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5日 |
(水曜日) |
中区南伊場町 |
梶子遺跡工事立会 |
8日 |
(土曜日) |
東区積志町 |
万斛鈴木家試掘調査報告会 |
10日 |
(月曜日) |
中区西伊場町 |
三永遺跡工事立会 |
11日 |
(火曜日) |
北区引佐町 |
本屋敷遺跡予備調査 |
12日 |
(水曜日) |
西区深萩町 |
後之遺跡工事立会 |
13日 |
(木曜日) |
東区有玉南町 |
東畑屋遺跡予備調査 |
東区市野町 |
別所東遺跡工事立会 |
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北区都田町 |
郷ヶ平古墳群工事立会 |
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15日 |
(土曜日) |
浜北区・浜北文化センター |
郷ヶ平6号墳速報展開始[~30日] |
17日 |
(月曜日) |
東区子安町 |
椋木遺跡予備調査 |
18日 |
(火曜日) |
静岡市 |
静岡県文化財等防災ボランティアネットワーク運営協議会 |
19日 |
(水曜日) |
本庁 |
姫街道の松並木保存管理庁内連絡会 |
中区元城町 |
浜松城跡工事立会 |
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20日 |
(木曜日) |
西区・和地協働センター |
和地地区の歴史講座 |
北区三ヶ日町 |
村上遺跡工事立会 |
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24日 |
(月曜日) |
浜北区内野 |
井下石遺跡予備調査 |
25日 |
(火曜日) |
中区南伊場町 |
梶子遺跡工事立会 |
南区若林町 |
城山遺跡予備調査 |
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南区若林町 |
井村遺跡工事立会 |
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天竜区春野町 |
御堂平1遺跡隣接地工事立会 |
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27日 |
(木曜日) |
北区・埋蔵文化財調査事務所 |
引佐いいとこ発掘隊施設見学 |
愛知県東栄町 |
全国民俗芸能保存振興市町村連盟総会 |
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28日 |
(金曜日) |
愛知県東栄町 |
全国民俗芸能保存振興市町村連盟総会 |
平成25年8月13日(火曜日) |
県指定無形民俗文化財「滝沢の放歌踊」 |
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平成25年8月15日(木曜日) |
県指定無形民俗文化財「呉松の大念仏」 |
平成25年8月17日(土曜日) |
国指定重要無形民俗文化財「川名のひよんどり」 |
(この記事は、浜松市メールマガジンとリンクしています)
宝永4年(1707)10月4日の宝永地震による津波は、舞坂宿と新居宿を押し流し、新居関所は残らず潰れ流されてしまい、今切渡船の機能は麻痺してしまいました。そのため東海道の旅行者は、危険な今切を敬遠し、本坂通(姫街道)に集中しました。しかし東海道の脇街道である本坂通では、大量の旅行者をさばけるわけもなく、気賀の庄屋三左衛門は道中奉行に対し「往来本坂越御通被成・・・人馬少に而附払手支申候」と報告しました。翌宝永5年(1708)4月、東海道に旅行者を呼び戻すため、新居宿と関所が修復されました。
宝永地震と津波は、浜名湖沿岸にも大きな被害をもたらしました。奥浜名湖の入り江、引佐細江湖畔は陥没し、都田川河口に広がる水田地帯は、津波が引いても潮水がついたままの土地となりました。気賀の領主、旗本近藤氏の領地3,409石の内、半分近い1,614石が荒地となってしまったのです。そこで近藤縫殿助用清は20年を費やして500石の田地を復旧し、その後完全復旧までには130年を要しました。
用清の跡を継いだ近藤縫殿助用随は、潮入りとなった水田に適した作物として、琉球藺の栽培を導入、奨励した領主として知られています。気賀の町中の細江神社には、藺草神社という境内社があり、地場産業「遠州表」の礎を築いた用随が祀られています。用随は自ら潮位の干満差を測り、干拓計画を作り、潮除け堤防を築かせ、水路を造らせたといわれています。現在の都田川の河口付近の流れも、かつては新川と呼ばれ、復旧のために開削された放水路でした。
細江神社の正面には天保6年(1835)に建てられた鳥居があったそうですが、その両側に当時建てられた玉垣は今も遺され、豊田小傳次をはじめとする気賀の畳表仲買商人や、江戸の畳表問屋、江戸通いの船元等の名前が刻まれています。昭和30年台まで都田川下流域で盛んに行われた琉球藺栽培と畳表生産は、災い転じて福となした復興の成果だったのです。
藺草神社
梅雨もあけ夏本番。7月12日からの企画展『浜松の渡来文化と埴輪群像』(市民ミュージアム浜北)の準備に追われていましたが、埴輪達も無事に展示されほっとしている所です。私達の埋蔵文化財調査事務所は、西区神原町から北区引佐町に移転し早二ヶ月。これからは、北区より歴史文化の情報発信を職員一丸となって頑張っていきたいと思っています。
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