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更新日:2013年10月9日
浜松市文化財情報/Vol.56
Vol.56 平成24年8月15日
出土した銅鐸(鈕の破片)
東区天龍川町のJR天竜川駅北側で、松東遺跡の発掘調査を本年の6月から実施しています。
調査区を3つにわけて来年の3月まで調査を実施する予定ですが、最初の調査区で銅鐸が出土するという大きな成果がありましたので、ご紹介します。
松東遺跡は、天竜川平野の微高地上にある、弥生時代後期(約1900年前)を中心とした遺跡です。
今回が3次調査になりますが、過去の調査では、環濠集落の跡が確認され、銅鐸の飾耳の小破片が出土していますので、松東遺跡における銅鐸の発見は2例目となります。
稲作が生業であった弥生時代後期において、松東遺跡周辺の微高地は生活の適地であり、山の神遺跡、森西遺跡など集落跡が多く確認されています。
また、東区和田町木船でほぼ完全な形の銅鐸2口が発見されているほか、森西遺跡では銅鐸形土製品が出土しています。
このように、集落跡が多く存在し、当時非常に貴重な物であった銅鐸や銅鐸関連品が多く出土している松東遺跡周辺は、弥生時代後期の天竜川平野における拠点的な地域だったと考えられます。
銅鐸は弥生時代のお祭りに使われた鐘で、弥生人にとっては最も大切な祭器です。
近畿地方を中心に分布しており、浜松市は銅鐸分布圏の東端になります。
市内では完全な形の銅鐸20点と破片5点(今回出土例含む)が知られており、全国的にも銅鐸が多い地域といえます。
今回発見されたのは、鈕(ちゅう)と呼ばれる吊り手の破片で、本体が折れ曲がり、欠けた部分もあることから、破砕されてから土坑(穴)に埋められたと考えられます。
破片の大きさは幅25cm、高さ20cmほどあり、銅鐸破片の中では全国最大級といえます。
弥生時代の終わり頃になると、銅鐸を使ったお祭りが行なわれなくなます。
銅鐸の廃絶については、完全な形の銅鐸を集落から離れた穴の中に埋める方法と、もう1つは銅鐸を破砕して、廃棄したり鋳潰して再利用する方法の大きく2種類にわけられます。
今回出土した銅鐸は当地方に多い三遠式銅鐸ではなく、近畿地方に多い近畿式銅鐸と呼ばれるものです。
近畿式銅鐸の破片は40例ほど知られていますが、三遠式銅鐸の破砕例が皆無です。
両者には廃絶方法など取扱いに違いがあったと考えられますが、今回の発見はそれを補強するものといえます。
今回の松東遺跡における銅鐸破片の出土例によって、すべての銅鐸破片が廃棄・再利用されたわけではなく、破片でも大型のものは大切に扱われ、集落内に埋められることもあったことがわかりました。
謎が多い銅鐸廃絶の実態をさぐる貴重な事例と評価できます
発掘のようす
今回出土した銅鐸を期間限定で展示します。
ぜひこの機会にご覧ください。
浜松市には100以上とも言われる山城がありますが、中でも二俣城、鳥羽山城は、徳川家康と武田信玄の攻防の舞台ともなり歴史上非常に興味深い山城です。
11月10日(土曜日)、11日(日曜日)の2日間、「二俣城・鳥羽山城を極める!」をテーマとして、浜松戦国山城まつりを開催することとなりました。
詳細については、来月の文化財情報10月号でお知らせします。
待てない方は、浜松市公式Webサイトにイベント内容が掲載されていますので、ごらんください。
また、チラシやポスターもまもなく完成する予定です!
浜松戦国山城まつりちらし
現在、浜松市では、Facebook「いいら!」を開設するなど、ソーシャルメディアを利用した広報活動に力を入れています。
わが実行委員会もその時流に乗り(?)、浜松戦国山城まつりの公式Twitter(ツイッター)を始めました。
イベントのお知らせや山城に関するコネタを発信していきます。
またイベント当日も、要所要所で中継に挑戦し、雰囲気をお伝えできればと考えています。
アカウントは「@1059hamamatsu」です。
よろしければ、みなさんもぜひフォローしていただき、まつりを一緒に盛り上げてください!
浜松戦国山城まつり実行委員会公式Twitter
8月には、こんな調査活動などを行いました。
1日 |
(水曜日) |
北区細江町 |
東林寺山門調査立会い |
---|---|---|---|
2日 |
(木曜日) |
天竜区役所 |
浜松戦国山城まつり実行委員会(第1回) |
3日 |
(金曜日) |
西区舞阪町 |
舞阪町天白遺跡本発掘調査開始 |
4日 |
(土曜日) |
西区神原町 |
第2回まいぶん祭り(93名) |
10日 |
(金曜日) |
西区舞阪町 |
舞阪町天白遺跡現地見学会(20名) |
13日 |
(月曜日) |
北区滝沢町 |
滝沢の放歌踊伝承状況現地調査 |
26日 |
(日曜日) |
南区米津町 |
親と子のウミガメ教室(第3回) |
27日 |
(月曜日) |
北区細江町 |
浜松市無形民俗文化財保護団体連絡会 |
30日 |
(木曜日) |
西区神原町 |
神久呂中学校職場体験(4名) |
2日 |
(木曜日) |
中田東遺跡 |
東区中田町 |
---|---|---|---|
7日 |
(火曜日) |
笠井遺跡 |
東区笠井町 |
8日 |
(水曜日) |
田尻遺跡 |
南区田尻町 |
17日 |
(金曜日) |
馬領家遺跡 |
中区領家 |
21日 |
(火曜日) |
芝本遺跡 |
浜北区於呂 |
23日 |
(木曜日) |
殿畑遺跡 |
北区三ヶ日町 |
24日 |
(金曜日) |
国方遺跡 |
西区篠原町 |
24日 |
(金曜日) |
山の神遺跡 |
浜北区小林 |
27日 |
(月曜日) |
五日市C古墳群 |
北区細江町 |
28日 |
(火曜日) |
鳥居松遺跡 |
中区森田町 |
10月13日(土曜日)
重要無形民俗文化財「遠江のひよんどりとおくない」
「民俗芸能inとしま」寺野のひよんどり出演
10月13日(土曜日)~14日(日曜日)
県指定無形民俗文化財「横尾歌舞伎」
横尾歌舞伎定期公演
10月20日(土曜日)
県指定名勝「実相寺庭園」ほか
文化財を守るシンポジウム
10月27日(土曜日)
県指定無形民俗文化財「川合花の舞」
川合花の舞
(この記事は、浜松市メールマガジンとリンクしています)
少年時代の豊臣秀吉の話として、「松下屋敷」「鎌研池」「片葉の葦」等が浜松の地に伝わっています。
このうち、「松下屋敷」の話は、尾張の地を離れた少年時代の秀吉が、松下屋敷(別名頭陀寺城)で一時奉公したというものです。
松下屋敷は、戦国時代の武将である松下氏が構えた屋敷で、現在の浜松市南区頭陀寺町の地に伝えられています。
松下氏は駿河を拠点に遠江や三河を勢力下に治めていた今川氏の家臣の引馬城主飯尾氏に仕えていました。
この松下屋敷伝承の地は、2001年秋にその一部が発掘調査されていて、戦国時代の建物の礎石や庭園状の池の跡、陶磁器類等が発見されました。
松下氏と直接結びつく証拠は見つかりませんでしたが、伝承の地に戦国時代の有力者の住まいがあったことは分かりました。
「鎌研池」と「片葉の葦」の話は、伝松下屋敷跡の北方の天白神社内(頭陀寺町)に伝えられています。
「鎌研池」は、少年時代の秀吉が、奉公していた際に、鎌を研いだとされる池で、その跡地が伝説として天白神社内に残っています。
同じく「片葉の葦」の話も「鎌研池」の話とともに伝わっていて、これは、少年時代の秀吉が、生えていた葦の片方の葉のみを切り落としたため、片葉の葦となって生えるようになったというものです。
鎌研池
伝松下屋敷で見つかった礎石建物
9月も半ばを過ぎましたが、朝夕は涼しくなってきたもの、日中は依然として真夏日続きの毎日です。
13日(木曜日)各紙朝刊で報じられたとおり、東区の松東遺跡から国内最大級の銅鐸破片が出土しました。
11月には大きなイベント「浜松戦国山城まつり」も控えています。
わが文化財課は、まだまだ“猛暑”が続きそうです。
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