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更新日:2023年3月24日
浜松市文化財情報/Vol.54
Vol.54 平成24年7月15日
浜松市では、今年4月より東日本大震災の復興支援として、埋蔵文化財の調査担当者を岩手県大船渡市教育委員会事務局生涯学習課文化財係に1名派遣しています。
大船渡市は、昨年の東日本大震災及び津波により、死者340名、行方不明者81名、倒壊家屋3,629棟(岩手県発表、平成24年6月23日時点)の被害を受け、中心市街地が津波に襲われました。震災からの復興元年と位置づけられた今年、浜松市からの派遣7名を含めた合計37名の職員が全国から大船渡市役所へ派遣され、復興関係の業務に従事しています。
大船渡市は、岩手県の南部沿岸に位置し、人口約4万人のリアス海岸(陸中海岸国立公園)が美しい、風光明媚な地です。
深く入り込んだ大船渡湾は、地震と津波により大きな被害を受けましたが、復興とともに美しい景観を取り戻しつつあります。
現在の大船渡湾
市内には、下船渡[しもふなと]貝塚、大洞[おおほら]貝塚、蛸ノ浦[たこのうら]貝塚という縄文時代の国指定史跡が3か所あります。
埋葬された人骨の他、縄文犬や土偶、骨角器(つり針やモリ等)など、浜松では出土例が少ないものも豊富に見られます。
また、大洞貝塚は縄文時代晩期における土器型式の標準遺跡として、古くから調査が行われ、研究者の間で注目されてきました。
市内の遺跡の多くに縄文時代の貝塚が含まれていることから、地元の人々は「遺跡」のことを親しみを込め、「貝塚」と呼んでいます。
市内で遺跡と認定されている数は約200箇所であり、大多数を占める縄文時代のほか、弥生時代や中世の城館跡などが知られています。
遺跡は主として高位置に立地していることから、縄文海進等との関係が考えられます。
昨年の津波では、一部の遺跡が被害を受けたものの、大半は浸水範囲を外れていることから、先人たちの経験を伺うことができます。
下船渡貝塚
大洞貝塚
蛸ノ浦貝塚
震災後は遺跡の調査が増加し、工事関係の遺跡の有無にかかわる照会は昨年の2倍に跳ね上がっています。
主な業務としては、遺跡の踏査から試掘、工事立会、本発掘調査があり、それらを担当職員が分担して行っています。
現在は主として、市内の個人住宅建設に伴う宮野[みやの]貝塚の調査を行っています。
貝層自体は検出されませんが貝層に隣接している地点であることから、貝塚と同様に土器捨て場などの廃棄場所であったと考えられています。
宮野貝塚は縄文時代前期から晩期の遺跡であり、長い期間人々の生活が営まれた場所です。
調査では、東海地方とは全く異なった模様で飾られた縄文土器のほか、土偶や石棒などといった浜松では見ることがあまりない貴重な遺物が出土しています。
宮野貝塚の調査風景
今年度も「まいぶん(埋蔵文化財)」のさまざまな体験ができる楽しいイベント「まいぶんまつり」を企画しました。
今年度は、より多くの方が来場できるように、子どもたちが夏休みのこの時期に計画しました!
日時 |
平成24年8月4日(土曜日) 午前10時~午後3時 |
---|---|
会場 |
浜松市埋蔵文化財調査事務所 |
アクセス |
【遠鉄バス】 |
[小・中学生と保護者向け]午前10時~午後2時
[ 小・中学生向け]午前10時~午後2時
歴史については、プロが相談にのります。
[一般向け]午後2時~午後3時
文化財課職員による見学講座。
内容は、一般向けの講座内容です。事前申し込み不要。
6月には、こんな調査活動などを行いました。
1日 |
(金曜日) |
西区神原町 |
埋蔵文化財調査事務所蒲小学校見学(13名) |
---|---|---|---|
4日 |
(月曜日) |
中区元城町 |
浜松城跡8次本発掘調査[~28日] |
5日 |
(火曜日) |
北区細江町 |
東林寺山門保存修理事業現地協議 |
7日 |
(木曜日) |
東区笠井町 |
笠井遺跡試掘調査 |
9日 |
(土曜日) |
北区引佐町 |
龍潭寺本堂保存修理工事落慶式 |
11日 |
(月曜日) |
天竜区佐久間町 |
産業遺産現状調査 |
12日 |
(火曜日) |
埋文事務所ほか |
気賀高校職場体験[~14日](1名) |
14日 |
(木曜日) |
東区小池町 |
箕輪遺跡試掘調査 |
18日 |
(月曜日) |
中区・本庁 |
姫街道の松並木保存管理庁内連絡会議(第1回) |
18日 |
(月曜日) |
西区舞阪町 |
舞阪町天白遺跡隣接地試掘調査 |
20日 |
(水曜日) |
北区細江町 |
近代和風別荘建築現状調査 |
20日 |
(水曜日) |
中区葵東~西区大山町 |
姫街道の松並木現状調査 |
21日 |
(木曜日) |
天竜区佐久間町 |
農村歌舞伎活性化プラン映像作成立会い |
27日 |
(水曜日) |
東区笠井町 |
笠井町若林遺跡試掘調査 |
28日 |
(木曜日) |
西区舞阪町 |
舞阪町天白遺跡試掘調査 |
25日 |
(月曜日) |
北区細江町 |
細江神社のクス現状調査 |
30日 |
(土曜日) |
浜北区大平 |
市史跡大平城跡現地確認 |
8月13日(月曜日)
県指定無形民俗文化財「滝沢の放歌踊」
滝沢の放歌踊
午後6時頃~/林慶寺(北区滝沢町)
8月15日(水曜日)
県指定無形民俗文化財「呉松の大念仏」
呉松の大念仏
午後1時頃~/宿蘆寺(西区庄内町)
(この記事は、浜松市メールマガジンとリンクしています)
平安時代初期に征夷大将軍として東北地方の平定に尽力した坂上田村麻呂(758~811)に関する伝説は、各地に残されており、浜松市内にもみられます。
その概略は次のとおりです。
「田村麻呂が美女(=大蛇)と出会い、美女は身籠ったが、出産時に田村麻呂に正体を知られると、赤子と玉を残し海へと消えた。
赤子が成長して俊光と名乗り、再びこの地を訪れたところ、大蛇が暴れて海が荒れていた。そこで、母の形見の玉を投げ入れると海が静まり、大蛇は姿を消した。」
この伝説に関する伝承地には、田村麻呂が布陣し美女と出会った「舟岡山」(東区半田町)、正体を知られた大蛇が潜った「薬師の淵」(中区上島七丁目:白華寺)、俊光が玉を投げ入れた地に建てられた「有玉神社」(東区有玉南町)、大蛇が姿を隠した淵の上に建てられた「椎ヶ脇神社」(天竜区鹿島)、俊光が母の姿を彫らせた「地蔵菩薩像」(浜北区根堅:岩水寺、重要文化財)、俊光が死後祀られた「大菩薩山の俊光将軍社」(東区有玉西町、現在は有玉神社に合祀)などがあります。
有玉神社・俊光将軍社
岩水寺
あくまで伝説なので歴史的根拠はありませんが、坂上氏の系図によれば、田村麻呂の息子に俊光の名は無いものの、9代後の子孫にその名が見え、嘉保2年(1095)には遠江守に任じられています。
この人物の存在と、当地の人々を苦しめ続けてきた天竜川の氾濫が、伝説の成立に関係しているのかもしれません。
被災地へ派遣している職員の奮闘記が届くようになってから、被災地の大船渡に想いを馳せることが多くなりました。
文化財にかかわる仕事は浜松も被災地も変わりませんが、復興の重みを背負った業務の裏には、言葉では表せない苦労を感じます。
先人の遺した足あとを尊重することが、復興に向けた市民の心の支えになるよう、願ってやみません。
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