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更新日:2023年3月24日
浜松市文化財情報/Vol.53
Vol.53 平成24年6月15日
去る6月9日(土曜日)、北区引佐町の龍潭寺で県指定有形文化財「龍潭寺本堂」平成の大修理工事落慶式典が開催され、鈴木康友浜松市長ほか関係者が多数出席しました。
修理後の本堂
龍潭寺は、江戸時代を通じ井伊家の菩提寺として栄え現在に至っています。
江戸時代以降の再興による伽藍は本堂のほか、山門、庫裡、開山堂、井伊家霊屋、稲荷堂が建ち並び、本堂北側には小堀遠州によって造られたとされる国指定名勝庭園が配されています。
本堂は棟札により延宝4(1676)年に建立されたことが明らかになっています。
なお、伽藍を構成する本堂等6棟の建物は、平成7(1995)年県指定有形文化財に指定されています。
本建物は、桁行9間、梁間6間、入母屋造、桟瓦葺[さんがわらぶき]で、近世社寺建築の伽藍を構成して現存する県内では貴重な本堂建築です。
近年、屋根を中心に損傷や経年劣化が著しくなったため、今回の保存修理事業が行われることとなりました。
大正年間の修理に次ぐ半解体修理で、平成20年12月着工、4年余の歳月を経て平成24年3月末に完了しました。
修理期間中も参拝ができることを前提とし、名勝庭園や参拝者の安全確保のため養生や補強を行った後、素屋根を建てました。
小屋組、妻飾り、軒先は全て解体し、当初の入母屋造に復原、整備しました。
小屋組の解体調査により建立当時の屋根仕様が柿葺[こけらぶき]と判明しましたが、今後の維持管理を軽減するため金属板葺としました。
また、軒廻り、軸部、床組は破損箇所を補修するとともに、耐震診断の結果を受け、可能な限り補強措置を講じました。
修理前の本堂は瓦葺でした
工事中は素屋根に覆われていました
解体工事(平成21年6月頃)
木工事(平成23年4月頃)
本建物は、耐震性能が不足しており、大地震時に大きく変形し倒壊する可能性があったことから、建物の傾斜是正や屋根重量の軽減を図るとともに、建物の外観や機能性を尊重しながら耐震補強を行いました。
補強壁(荒壁パネル)の設置と床下補強(面格子壁及び制震装置としてのダンパー設置)を行い、耐震性能を向上させました。
床下の耐震補強
耐震性能を高めるために、建物傾斜の建て起こしを行いました。
本堂は大正の大修理が行われていましたが、本堂に関する知見は残されておらず、銅版画と古写真から外観をうかがい知るのみでした。
今回の保存修理事業では、痕跡や葺材の発見により建立当時の屋根形状が入母屋造柿葺[こけらぶき]と判明したことに加え、その後の変遷も建築部材への墨書や彦根藩古絵図等により明らかになりました。
この貴重な建物を守り伝えてきた先人たちに深く敬意を表するとともに、江戸時代から幾多の大地震に耐えた建築技術の高さにあらためて驚かされます。
建立当時の姿に復原、整備され、江戸という時代と同じ空間を共有することができる龍潭寺本堂は、歴史、文化、そして文化財を未来に伝えていくことの大切さを肌で感じることができる貴重な建物なのです。
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〒430-8652 浜松市中区元城町103-2
浜松市役所文化財課あて
5月には、こんな調査活動などを行いました。
1日 |
(火曜日) |
天竜区佐久間町 |
農村歌舞伎活性化プラン現地聞き取り調査 |
---|---|---|---|
2日 |
(水曜日) |
天竜区春野町 |
瑞雲院山門調査立会い |
9日 |
(水曜日) |
南区東若林町 |
村東遺跡確認調査 |
10日 |
(木曜日) |
イーステージ |
姫街道の松並木庁内調整会議 |
12日 |
(土曜日) |
博物館 |
埋蔵文化財速報展開始[~28日] |
13日 |
(日曜日) |
西区坪井町他 |
ウェルカメクリーン作戦 |
14日 |
(月曜日) |
南区増楽町 |
増楽遺跡確認調査 |
16日 |
(水曜日) |
北区細江町 |
気賀のウルシ現状調査 |
18日 |
(金曜日) |
浜北区貴布祢 |
旧平野家住宅現状調査 |
21日 |
(月曜日) |
南区増楽町 |
増楽遺跡確認調査 |
7月8日(日曜日)
市指定無形民俗文化財「遠州大念仏」
ふじのくに子ども芸術大学「遠州大念仏に触れてみよう!」
午前10時~正午/なゆた・浜北
7月15日(日曜日)
市指定無形民俗文化財「遠州大念仏」
遠州大念仏
午後6時頃~/犀ヶ崖資料館前庭
(この記事は、浜松市メールマガジンとリンクしています)
北区細江町中川瀬戸に、初山宝林寺があります。
宝林寺は、旗本金指近藤二代登之助貞用の招きに応じて、独湛禅師が寛文4年(1664)に開いた黄檗宗の寺院です。
独湛禅師は、京都府宇治に黄檗山萬福寺を開いた隠元禅師に従い承応3年(1654)に来日した明国の僧です。
寛文7年(1667)創建の仏殿は、それまでの日本の寺院建築とは異なる中国風の建築で、隠元により黄檗宗が開かれて間もない頃の黄檗宗寺院の建築として重要文化財に指定されています。
初山宝林寺
宝林寺には、この寺を建てた近藤登之助貞用夫妻の画像(静岡県指定文化財)と、延宝7年(1679)貞用が寺領100石を寄進した寄進状が伝えられています。
宝林寺に対する帰依は金指近藤家だけにとどまらず、気賀近藤家用治の寄進と考えられる十六羅漢像厨子が伝えられています。
境内には近藤登之助貞用をはじめとする旗本金指近藤家歴代の墓所が遺されています。
戦国時代の浜名氏は、駿河の今川氏の支配下に入り桶狭間の戦いにも出陣しています。
桶狭間の戦いで今川義元が敗れ、今川氏の勢力が衰退すると三河から徳川家康が遠江進出を狙い圧力を強めてきます。
時の佐久城主浜名頼広(よりひろ)は、今川方に付いて佐久城に籠城し、家康に抵抗しますが、最後は甲州へと逃れ佐久城も開城し徳川方の手に落ちます。
佐久城の落城によって三ヶ日地区を約200年間に渡って支配した名門浜名氏は滅び、以後は徳川氏の支配下に置かれることになります。
藺草神社(細江神社境内)
文化財ブックレットの最新刊『天浜線と沿線の近代化遺産』が、いよいよ発売になりました。
文化財ブックレットは今回で6冊目になりますが、いずれも文化財課職員が企画・取材・執筆・編集しています。
おかげさまで、1~4はまもなく完売となりそうです。
私たちの汗と涙と愛情のつまった文化財ブックレットを、あなたもぜひ!
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