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更新日:2023年3月24日
浜松市文化財情報/Vol.35
Vol.35 平成23年2月15日
昨年末の登録答申から早2ヶ月が経過しました。
先月8日には転車台見学の参加者が1万人を突破したほか、各メディアへの露出が増えるなど、早くも文化財登録効果が出てきています。
さて、前号に引き続き、新たに登録される天竜浜名湖鉄道関係建造物のうち主なものを紹介します。
都田川橋梁
フルーツパーク駅のすぐ西側に位置する全長123mの橋梁です。
河川流路に設置されているコンクリート造の橋脚は基礎、脚部とも円形で、渓谷景観によく調和しています。
清流都田川が平野部に差し掛かる手前、急流から緩流に切り替わる地点に位置しており、中・下流域のランドマークとして良好な景観形成に寄与しています。
金指駅高架貯水槽
[上屋及びプラットホーム、高架貯水槽]
国鉄二俣線西線延伸時の昭和13年から全線開通の昭和15年までは西線の終着駅でした。
なかでも、駅舎西側に位置する高架貯水槽は蒸気機関車に給水するために設置され、旅客だけでなく石灰を主力とした貨物の基幹駅としても賑わっていたことを示す貴重な建造物です。
気賀町高架橋
気賀駅の400m東に位置し、姫街道(県道261号磐田細江線)などを跨ぎ、市街地を横断するかたちで建設された一連の高架橋です。
近世以降、姫街道の宿駅として繁栄していた気賀町が、鉄道敷設によりさらなる発展を遂げる礎となった近代化遺産として貴重です。
[本屋、上屋及びプラットホーム]
国鉄二俣線西線延伸時の昭和13年に建設された一連の施設。
待合室の木製ベンチや改札口に昭和の温もりを感じるとともに、長く続く木造上屋が往時の賑わいを伝えています。
気賀駅本屋(改札)
気賀駅上屋及びプラットホーム
三ヶ日駅本屋
[本屋、上屋及びプラットホーム]
猪鼻湖の北岸に位置する三ヶ日駅は国鉄二俣線の西線開にあわせ、昭和11年に建設された路線中最初期の駅舎のひとつです。
待合室の板張り床、天井、木製ベンチなどが昭和前期の雰囲気を伝えています。
以上、2回にわたり浜松市内の主な建造物を紹介しましたが、今回の登録で沿線全ての市町に天浜線関係の登録文化財が所在するようになります。
列車に乗って鉄道遺産を巡るもよし、ちょっと足を伸ばして湖北五山や山城など沿線の文化財を巡るもよし、今度の休日はのんびり天浜線でお出かけしてみてはいかがでしょうか?
きっとあなたも “日本の原風景”に出会えるでしょう!
1月には、こんな調査活動などを行いました。
3日 |
(月曜日) |
北区引佐町 |
寺野のひよんどり伝承状況現地確認 |
---|---|---|---|
4日 |
(火曜日) |
北区引佐町 |
川名のひよんどり伝承状況現地確認 |
5日 |
(水曜日) |
西区 |
舞阪地区分布踏査・南区新津地区分布踏査 |
11日 |
(火曜日) |
南区小沢渡町 |
八幡山遺跡試掘 |
12日 |
(水曜日) |
南区高塚町 |
村中遺跡試掘、西区志都呂町東前遺跡工事立会 |
13日 |
(木曜日) |
本庁 |
付属中学校文化財課訪問受入(11名) |
17日 |
(月曜日) |
浜北区四大地 |
大平城試掘(~21日) |
18日 |
(火曜日) |
東区和田町 |
木船廃寺跡試掘調査 |
19日 |
(水曜日) |
北区細江町 |
狐塚古墳測量調査~25日 |
24日 |
(月曜日) |
山梨県 |
文化財審議会委員行政視察 |
25日 |
(火曜日) |
北区細江町 |
東林寺山門、旧山瀬家のコヤ等文化財防火デー訓練確認 |
26日 |
(水曜日) |
浜北区新原 |
新原古墳群工事立会 |
27日 |
(木曜日) |
東区中郡町 |
橋爪遺跡工事立会 |
30日 |
(日曜日) |
浜北区四大地 |
大平城現地説明会(310名) |
2月20日(日曜日)
重要無形民俗文化財「遠江のひよんどりとおくない」
「川名のひよんどり」ふじのくに芸術回廊フェスティバル出演
午後1時00分~/グランシップ(静岡市)
2月20日(日曜日)
重要無形民俗文化財「西浦の田楽」
西浦田楽
午後9時頃~翌朝/天竜区水窪町奥領家
3月20日(日曜日)
県指定無形民俗文化財「横尾歌舞伎」
北区みをつくし文化センターホールこけら落とし公演出演
北区細江町気賀
大平城全景
発掘された堀切
出土した土器
1月に浜北区大平にある大平城の発掘調査が行われました。
大平城は南北朝時代に築かれた山城として知られ、北区引佐町の三岳城、北区三ヶ日町の千頭峯城などとともに、遠江における南朝方の拠点であったと考えられています。
今回は、城の構造や残存状況を確認するための調査で、東側の堀切、本曲輪南側の平坦面、本曲輪と西曲輪の間の3箇所を発掘しました。
その結果、本曲輪周辺の2箇所では建物跡や堀などは確認できませんでしたが、東側の堀切は堀底が箱型で、地表面から60cm程埋まっていることが明らかになりました。
堀の幅は上端で約10mあり、曲輪の平坦面から堀底までは約4.2mもの高さがありました。
尾根筋を遮断することによって東からの敵の侵入に備えていたと考えられます。
さらに大平城跡全域にわたって遺物の散布状況を調査したところ、東曲輪や腰曲輪、本曲輪西側の大手道沿いなどで、鎌倉時代から戦国時代に至る幅広い時期の陶磁器が多数発見されました。
その中には16世紀後葉頃のものが多く認められ、戦国時代に大平城の使用が活発化したと推定されます。
こうした出土陶磁器の年代観や、堀切などの築城技術の特徴から、今残る大平城の遺構の多くは、徳川家康が対武田戦への備えとして改修した段階のものである可能性が高いと考えられます。
<編集後記>
大平城跡発掘調査の現地説明会が、1月30日(日曜日)に行われました。
雪がちらつく寒い日にもかかわらず、310名もの参加者があり、大平城は熱く燃えました。
これからも当課では山城の調査を続けようと計画しています。
今後とも、さまざまな山城跡の現地説明会への、皆様のご参加をお待ちしております。
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