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更新日:2023年3月24日

文化財情報vol.29

はままつの文化財

浜松市文化財情報

Vol.29 平成22年8月15日

宿蘆寺(しゅくろじ)大澤家墓所(おおさわけぼしょ)を調査しました

調査風景

2010年6月16日、7月1日、2日の3日間にわたり、西区庄内町の宿蘆寺にある大澤家墓所の調査を行いました。
墓所には江戸時代の石塔が今もその姿を留めていましたが、今回、石塔の実測図作成や平面測量、埋没遺構の発掘などを行い、その詳細が明らかになりました。

大澤家とは・・・?

大澤家墓所

墓所を形成した大澤家は、江戸時代に現在の庄内地区を 治めた旗本(将軍直属の家臣、知行高1万石未満)で、明 治元年(1868)には新設された堀江藩(庄内地区)の藩主を勤めています[註1]。
大澤家は、石高こそ3千から5千石 あまりにすぎませんが、代々、江戸幕府の高家(こうけ)と いう要職をつとめた格が高い家柄として知られています。
高家とは、主として朝廷関係の儀礼をつかさどる役職で、朝廷からの使いを江戸で接待したり、京都への使者をつとめたりしました[註2]。

註1 ただし、堀江藩主となった大澤基寿(大政奉還の際に徳川慶喜の使者として参内し、その表を奏した)は神道に改宗したため、ここに紹介する宿蘆寺墓所には葬られていません。
註2 高家は老中の直属で、所領が1万石以下でありながら官位が大名に準じて高く、従五位もしくは従四位の侍従となっています。元禄15年(1702)の赤穂事件で絶家となった吉良義央も同じ高家に任ぜられていました。

大澤氏代々の菩提寺、宿蘆寺

宿蘆寺本堂

そもそも高家の役職は、慶長8年(1603)、徳川家康が 将軍職を拝任する際に、大澤基宿が儀礼をつかさどったこ とに始まります。
基宿は、寛永17年(1640)に死去し、領地内の宿蘆寺に葬られました。
その後も大澤家代々の墓塔 が同寺に設けられていき、現在みられる墓所が形成されました。

宿蘆寺は曹洞宗の名刹で、藤谷山の山号をもちます。
天正元年(1468)佐田城主[註3]堀江久実が普済寺(中区広沢)から高僧を迎え開山したと伝えられています。
堀江氏が没落した後は大澤家の菩提寺として栄えました。
現在ある本堂は、安永5年(1776)に完成したもので、桁行10間半、梁間8間、寄棟造り桟瓦葺きの建物は、堂々たる風格を備えています。
大澤家墓所は、本堂の西側にある丘陵上に造営されました。

註3 佐田城は、西区舘山寺町にあった堀江城の別称とみられます。

大澤氏代々の菩提寺、宿蘆寺


五輪塔


宝篋印塔

 

現在、墓所には大澤家の石塔が11基確認できます[次頁表参照]。
最初に築かれた基宿(高徳寺殿)の墓塔は、花座や花頭窓を供えたやや特殊な五輪塔(ごりんとう)[註4]です。
その後3代(基重~基恒)の墓塔には、相輪(石塔最上部)に反花や請花などの装飾をもつ宝篋印塔(ほうきょういんと う)[註5]が築かれています。
これら江戸前期の4基の石塔は、地上からの高さが3.5mを超える大変立派なものです。
さらに、基隆(風月院殿)以降の墓塔は、通有の五輪塔が用いられています。
大澤家墓所に用いられた石塔は、すべて典型的な江戸式に属します。高家大澤家と江戸との関係の深さを物語るといえるでしょう。

註4 地・水・火・風・空の五大にかたどった部材からなる塔の形式をいいます。
註5 基礎と立方体に近い塔身、隅飾りがある笠、相輪を組み合わせた塔の形式をいいます。

造立順

法名

俗名

造立

形式

1

高徳寺殿

大澤基宿

10代

寛永17(1640)

五輪塔

三位

2

康庵寺殿

大澤基重

11代

慶安03(1650)

宝篋印塔

従四位(上)

3

真光院殿

大澤基将

12代

延宝06(1678)

宝篋印塔

従四位上

4

英輝院殿

大澤基恒

13代

元禄10(1697)

宝篋印塔

従四位上

5

風月院殿

大澤基隆

14代

享保15(1730)

五輪塔

従四位下

6

體室院殿

大澤定寧

16代

安永05(1776)

五輪塔

従五位下

7

現成院殿

大澤基朝

15代

寛政03(1791)

五輪塔

従四位下

8

大智院殿

大澤基栄

17代の長子

文政02(1819)

五輪塔

従五位下

9

祥雲院殿

大澤基之

17代

文政05(1822)

五輪塔

従四位上

10

徳厳院殿

大澤基昭

18代

嘉永06(1853)

五輪塔

従四位下

11

清源院殿

大澤基暢

19代

文久02(1862)

五輪塔

従五位下

 基壇の石列

今回行った発掘調査では、墓所の外側をめぐる基壇の存在が確かめられました。
基壇には石が並べられており、その規模は、南北11.4m、東西8.5mほどです。
墓所の周りに土塀や玉垣など、全体を荘厳化する造作が無い点は、大名クラスに準じたつくりといえそうです。

文化財課では、今後も近世墓所群の調査を進め、大澤家 墓所の歴史的位置づけをさらに明確にしていきます。

文化財日記抄

7月には、こんな調査活動などを行いました。

1日(木曜日)

西区庄内町

宿蘆寺大沢家墓所試掘調査~2日

8日(木曜日)

北区細江町

市指定有形文化財「白栁家住宅」現状確認調査

12日(月曜日)

西区馬郡町

殿道東遺跡試掘調査

20日(火曜日)

東区恒武町

恒武遺跡群工事立会

23日(金曜日)

西区坪井町他

海岸防災林管理広場駐車場清掃

26日(月曜日)

南区渡瀬町

上組遺跡発掘調査開始

27日(火曜日)

北区引佐町

県指定無形民俗文化財「横尾歌舞伎」伝承状況聞き取り調査

28日(水曜日)

東区宮竹町

宮竹野際遺跡発掘調査開始

30日(金曜日)

北区引佐町

市指定有形文化財「木造十王坐像」ほか所在場所変更立会い

24日(土曜日)

南区(可美公園総合センター)

親と子のウミガメ教室(第1回)

31日(土曜日)

南区(遠州灘)

親と子のウミガメ教室(第2回)

文化財イベント

全3回(※参加申込みは締め切りました。)

文化財講座「浜北地域の歴史と遠州山辺の道の歩き方講座」

第1回:浜北地域の歴史と概観
8月28日(土曜日)午前10時~正午/浜北文化センター

第2回:遠州山辺の道沿線の史跡・文化財
9月4日(土曜日)午前10時~正午/浜北文化センター

第3回:フィールドワーク「遠州山辺の道を歩く」
9月18日(土曜日)午前9時~午後0時30分

9月5日(日曜日)

市指定無形民俗文化財「遠州大念仏」
遠州大念仏大競演
午前10時~午後4時/浜北文化センター(浜北区貴布祢)

全3回

文化財の見方講座

第1回:重要文化財「中村家住宅」(西区雄踏町宇布見)
9月25日(土曜日) 午前10時30分~正午

第2回:市指定有形文化財「旧舞坂脇本陣」(西区舞阪町舞阪)
9月26日(日曜日) 午前10時30分~正午

第3回:県指定有形文化財「龍潭寺」(北区引佐町井伊谷)
10月2日(土曜日) 午前10時30分~正午

※要申込み。詳細は広報はままつ9月5日号を参照。

日本刀について、学びませんか?

日本刀入門公開講座を開催します。秋葉山本宮秋葉神社所蔵の国指定重要文化財の太刀などを題材に、日本刀の歴史、文化性、芸術などの学習をします。

秋葉山神門(市指定有形文化財)

日時

平成22年9月20日(月曜日)
午後1時~3時30分

会場

秋葉山本宮秋葉神社上社(天竜区春野町領家)

講師

渡邉妙子さん(佐野美術館館長)

定員

50人(応募者多数の場合、抽選)

申込み

往復はがきに、「日本刀入門希望」、住所、氏名、年齢、電話番号と返信用のあて名を書いて、文化財課(〒430-8652中区元城町103-2)へ。
※申込みは、1通につき1人です。

締切り

8月31日(火曜日)必着

<編集後記>

連日「猛暑」「熱中症」などの言葉が、ニュースや新聞に飛び交う、暑い、暑~い毎日が続きます。
そんな暑さも、ものともせず、埋蔵文化財調査事務所では、梶子遺跡・上組遺跡・宮竹野際遺跡の発掘を行っています。
帽子・長袖・麦茶・スイカで、熱中症対策は万全!まだまだ厳しい暑さが続きますが、みなさんもご自愛ください。

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お問い合わせ

浜松市役所市民部文化財課

〒430-8652 浜松市中央区元城町103-2

電話番号:053-457-2466

ファクス番号:053-457-2563

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