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更新日:2023年3月24日
はままつの文化財
Vol.23 平成21年2月15日
浜北区北部の山麓には、奈良時代から鎌倉時代の窯跡が多く発見されています。
窯跡は7地点に別れて総数30基以上が存在し、総称して宮口古窯跡群と呼ばれています。
宮口古窯跡群が最も栄えたのは平安時代で、吉名古窯跡群もその一つです。
吉名古窯跡群は浜北明神池運動公園の南側、上位段丘の富岡段丘を開析してできた谷にあり、現在までに9基が確認されています。
今回紹介するのは、現在整理作業を進めている1号窯で、昭和34年(1959)に静岡大学教育学部浜松分校歴史研究部で発掘調査されたものです。
窯は斜面に溝を掘った後に天井を架けたトンネル状の構造で、谷側を狭くしてそこで火が焚かれました。
窯の構造は古墳時代から奈良時代まで大きく変化していませんが、平安時代になると、火回りをよくするために、分焔柱が設けられるなど、新しい技術が導入されました。
この最新技術が吉名1号窯にも導入されていました。
実測作業のようす
割れた陶器や歪んだ陶器は灰や炭とともに、窯体からかき出され、谷側に捨てられました。
吉名1号窯の灰原からは数千点に及ぶ大量の陶器が出土しました。
出土遺物はすべて灰釉陶器(かいゆうとうき)と呼ばれる陶器で、種類には碗、皿、壺、甕、鉢、円面硯、宝輪、瓦などがあります。碗は今の茶碗にあたるもので、形も今のものと良く似ています。
皿には細かな形の違いはありますが、今の小皿にあたるものです。
壺や甕は、水や酒などの液体を入れておく貯蔵具や容器です。鉢は、現在の丼や大皿にあたるものです。
これらの陶器は、生活に用いられる食器や容器で、ほとんどが日常雑器と言えるものです。
しかし、吉名1号窯で焼かれたものの中には高級食器に含められるものが存在します。
それは碗の内面に蝶や花の模様が描かれたもので、中国の銅碗に起源があります。
これらは当地域の豪族や富裕層により消費されたものと想像されます。
花文様のある灰釉陶器
陶硯は、すり面が円形の円面硯、U字形をした風字硯があります。
円面硯には脚部がついていて、そこには透かしと模様が施されています。
風字硯は黒と赤の2色の墨が使用できるよう中央に土手があります。
硯は飛鳥・奈良時代以降に記録を文字で残す必要がある役所や、写経を行う寺院で用いられるようになりました。
吉名1号窯で作られたものの中には、宝輪と瓦など寺院の建物用の焼物もあります。宝輪は寺院の塔の頂部を飾るもの、瓦は寺院の建物に葺かれるもので。供給された寺院は今までの調査では判明していません。今後、浜北区北部を歩いて、候補となる遺跡を探したいと考えています。
出土品の整理作業は来年度には完了し、平成23年度には報告書にまとめる予定です。
円面硯
寺院用の陶製宝輪
1月24日(木曜日)から3週にわたり、浜松地域人づくり大学『湖北の城ガイドボランティア講座』(全3回/会場:みをつくし文化センター)を開講しました
今年度、文化財担当では浜松地域人づくり大学の講座として、文化財保護に関する情報提供や歴史ガイドボランティアとしての活躍を期待し、3つの講座を開講しています。
本講座はその第2弾で、『よみがえる戦国の城』と題して、長年山城の調査・研究に携わっていらっしゃる専門家を講師にお招きし、『城の歴史と基礎知識・調べ方』『戦国大名と城』『城と武将と合戦』について学んでいただくものです。
講座には市内全域から定員を超える申し込みがあり、中には市外から申し込まれた方もいらっしゃいました。
受講者はみなさん熱心で、欠席される方もほとんどなく、また、独自で城について勉強をしながら地域で活動されている方もいらっしゃり、メモを取りながら真剣に講義を受けていました。
講座終了後のアンケートでは、「いろいろな視点から城について説明があり、とてもわかりやすかった。」「資料も講義内容も充実していて、大変参考になった。」などの声が寄せられました
浜松市内には100を超える城(跡)があります。
昨年開催された第24回国民文化祭・しずおか2009の一事業として開催された『城跡フェスティバル』を機に、浜松市内の城(跡)に対する関心も高まってきています。
今後もこのような講座を通じて、浜松の城の魅力、歴史などを積極的にお伝えしていきます。
講座のようす
1月には、こんな調査活動などを行いました。
3日 |
北区引佐町 |
寺野のひよんどり伝承状況確認調査 |
---|---|---|
4日 |
北区引佐町 |
川名のひよんどり伝承状況確認調査 |
6日 |
北区三ケ日町 |
三ケ日町地区遺跡分布調査 |
8日 |
天竜区佐久間町 |
半場遺跡工事立会い |
13日 |
南区・西区 |
海岸防砂林管理広場清掃 |
14日 |
浜北区宮口 |
新屋遺跡踏査 |
19日 |
北区 |
姫街道の歴史と歩き方講座フィールドワーク事前確認 |
20日 |
浜北区宮口 |
新屋遺跡踏査 |
22日 |
中区 |
姫街道の松並木剪定作業確認 |
25日 |
彦根 |
文化財審議会視察(~26日) |
26日 |
北区引佐町 |
方広寺七尊菩薩堂文化財防火デー訓練状況確認 |
28日 |
北区細江町 |
宝林寺仏殿・方丈防災施設調査 |
29日 |
天竜区二俣町 |
二俣城試掘箇所現地検討会 |
西浦の田楽
<重要無形民俗文化財「西浦の田楽」>
午後9時頃~翌朝/西浦観音堂(天竜区水窪町奥領家)
北区DEまつり出演
<県指定無形民俗文化財「横尾歌舞伎」>
午前9時30分~/都田総合公園(北区新都田)
天竜区二俣町の二俣城(城山公園内)の発掘調査を3月1日から行います。
二俣城といえば、昨年11月に行われた国民文化祭「城跡フェスティバル」での二俣一夜城と戦国時代絵巻のイベントには、多くの方々にお集まりいただきました。
復元された天守閣を背に、甲冑武者行列や火縄銃演武などが行われ、戦国時代に思いをはせていただいたことは、みなさんの記憶にも新しいところだと思います。
今回の発掘調査は、昨年に続いて2度目、約1週間の予定で実施します。
昨年の調査では、天守台と北側石段の裾を発掘し、地中にもう一段分石垣が埋もれていることが分かりました。
また、本丸と二の丸をつなぐ通路部分からは、門の礎石の一部が見つかり、本丸中仕切門の存在が明らかになりました。
さらに、瓦が多く出土したことから、門は瓦葺の礎石建物であったと考えられています。
今回の調査では、本丸中仕切門周辺を発掘し、周囲の石垣の様子や門の礎石の全容を明らかにすること、本丸と南側の「蔵屋敷」と称する曲輪との間の堀切の形状を確認することを目的に調査を進めます。
そして、これらの調査成果を広くみなさんに知っていただくために、発掘調査に合わせて現地見学会を実施します。
北遠地方への出入り口として、戦略上の要地として重要視された二俣城の一端を是非この機会にご覧下さい。
平成22年3月6日(土曜日)
午前10時~/午後1時30分~
<2回開催・雨天決行>
城山公園内 二俣城跡調査現場
(浜松市天竜区二俣町二俣)
※城山公園の駐車場は使用できません。
公共交通機関を極力ご利用ください。
なお、鳥羽山公園駐車場はご利用いただけます(徒歩15分)
浜松市生涯学習課文化財担当
天竜区役所区振興課
主な遺構の見学
発掘調査で出土した遺物の展示
※調査を担当した職員が説明いたします
なお、二俣城見学後、希望者には鳥羽山城跡に移動して、鳥羽山城の概略について、解説いたします。
二俣城跡本丸中仕切門の礎石
二俣城跡天守台の石垣(昨年調査)
<編集後記>
吉名古窯から出土した陶器は、数千点に及びます。これらのほとんどは、つまるところ、失敗作ですが、その内容は、日常食器から美しい模様のついた高級食器、役所用の硯、寺院用と思われる焼物と、バリエーションに富み、吉名古窯が大規模な陶器工場だったことが分かります。
その技術が、もし現代まで受け継がれていたら・・・想像がふくらみます。
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