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更新日:2015年11月16日

浜松市文化財情報vol.94

平成27年11月15日発行

賀茂真淵記念館特別展「賀茂真淵と二葉葵・三つ葉葵」好評開催中!

チラシ<チラシ>

賀茂真淵を生んだ岡部家ゆかりの二葉葵、天下泰平の世の礎を築いた徳川家ゆかりの三つ葉葵。この葵が結ぶ縁によって、新しい学問としての国学を樹立した浜松生まれの真淵。その生涯と業績を、葵ゆかりの展示品で紹介する特別展を好評開催中です。とりわけ、特別展示されている三方ヶ原の合戦で戦功をあげた岡部家に代々伝わる家康公から拝領の鎧兜は必見です。家康公四百年祭記念事業として注目を集めている展示を是非ご覧ください。

遠祖は賀茂県主(かものあがたぬし)氏徳川家と関わる名家

真淵の学問や生き方には、遠祖の誉れや武家の子孫としての矜持が深く関わっています。八咫烏となって神武天皇を導き奉った『八咫烏考』、“賀茂県主氏”が記されている古代氏族名鑑『新撰姓氏録』、“あがたいとはゐなかの心也”と真淵自身が注釈した『ふぶくろ』など学術的価値の高い名品を是非ご覧ください。正面ケースを飾るのは、真淵の先祖岡部政定が“三方ヶ原の合戦”で戦功をあげ、家康から拝領した鎧兜。

鎧兜<展示中の鎧兜>

泰平の世の礎を築いた家康を尊崇し”下野や神のしづめし二荒山二度とだに御世は動かじ”と詠んだ掛軸、更には浜松城主水野忠邦の「縣居翁霊社の碑文」など逸品揃いです。

掛軸<展示中の掛軸>

真淵を育てた“地の利・人の縁”

真淵の生涯は、学問揺籃期としての浜松時代、荷田春満に師事した京都時代、八代将軍徳川吉宗の次男田安宗武に仕え国学者として大成した江戸在住時代に分けられます。文化東漸の時代にあって、交通の要衝浜松宿は、東海道の道筋にあり、真淵の学問形成にとって、地の利、人の縁が大きく幸いしているのです。新しい学問としての国学を樹立した真淵は、明和6年に73歳の生涯を閉じ、江戸品川東海寺に葬られました。ふるさと浜松では、師真淵を慕う遠江国学者たちによって縣居翁霊社が修造され、その社殿には二葉葵の御神紋が輝いています。

展示物は以上の流れを踏まえて展示され、浜松市指定文化財『曳馬野の歌』『古今集序』も注目を集めています。本展が、進取の気鋭に富むふるさとの魅力再発見の契機となれば幸いです。

好評開催中!

賀茂真淵記念館平成27年度特別展
『賀茂真淵と二葉葵・三つ葉葵』
会期:平成27年10月1日(木曜日)~11月25日(水曜日)
場所:浜松市立賀茂真淵記念館(中区東伊場1-22-2)
観覧料:大人300円高校生150円
小中学生・70歳以上の方、障がい者の方は無料
休館日:月曜日(国民の祝日、振替休日の場合は開館し翌火曜日休館)

第11回浜松やらまいか交流会で川名のひよんどりを披露しました!

去る10月26日(月曜日)、日本都市センター会館(東京都千代田区)で行われた「第11回浜松やらまいか交流会」で国指定重要無形民俗文化財「川名のひよんどり」が披露されました。

浜松やらまいか交流会は、首都圏における本市の情報の発信及び収集機能の強化・拡充を目的に、市の主要な施策やイベント、産業、観光、季節にちなんだ物産等を積極的にPRする事業として、市町村合併後の平成17年から開催されています。

前嶋会長による芸能解説<前嶋保存会長による芸能解説>

今回、「川名のひよんどり」の舞のなかでも特徴的な『獅子の舞』が披露されました。一般的に獅子の舞と呼称される舞は、文字どおり獅子がメインとなりますが、川名の舞では獅子ではなく山男が主役となります。会場ステージ上を、厳かさの中にもどこかユーモラスな仕草を交えながら動き回り、400人を超える観客の視線を釘付けにしました。また、再来年の大河ドラマ「おんな城主直虎」で注目される井伊家ゆかりの民俗芸能としても多くの観客の関心を集めました。

獅子の舞<獅子の舞>

なお、今回披露した獅子の舞を含む「川名のひよんどり」は、毎年1月4日午後6時から北区引佐町川名の福満寺薬師堂(通称八日堂)で行われます。厳冬期の夕刻からの行事ですが、防寒の備えを十分していただいたうえで足を運んでいただければ幸いです。

文化財日記抄 10月

1日(木曜日)、天竜区山東、光明山古墳群工事立会
1日(木曜日)、西区呉松町、仲平遺跡予備調査~2日
2日(金曜日)、東区豊町、宮前遺跡工事立会
5日(月曜日)、中区中央、浜松観光ボランティア講座
6日(火曜日)、天竜区山東、光明山古墳群予備調査~8日
7日(水曜日)、中区南伊場町、梶子遺跡工事立会
9日(金曜日)、天竜区二俣町二俣、二俣城跡6次調査~23日

17日(土曜日)、岡崎市家康サミット岡崎編
18日(日曜日)、天竜区二俣町二俣、二俣城跡講演会(午前 参加90人)・二俣城跡現地説明会(午後 参加240人)
19日(月曜日)、浜北区芝本芝本遺跡本調査~30日
21日(水曜日)、東区天龍川町・天竜区米沢・北区三ヶ日町鵺代、県指定天然記念物現況調査
27日(火曜日)、浜北区宮口、大屋敷古窯跡群ほか表土掘削立会
27日(火曜日)、天竜区二俣、天竜ふるさとガイドの会
29日(木曜日)、南区高塚町、小牧市歴史ガイドの会
30日(金曜日)、天竜区二俣町二俣、豊明市文化財保護審視察:二俣城

家康400年忌文化財めぐり 浜松城主徳川家康 武田の遠州攻め4. 鳥羽山城、二俣城、刑部城

天竜川と二俣城(下)鳥羽山城(中央)

<天竜川と二俣城(下)・鳥羽山城(中央)>

二俣城(天竜区二俣町二俣)は、天竜川と旧二俣川の合流地点の北側丘陵に築かれた山城です。

遠江に侵攻した信玄は、元亀3年(1572)10月10日に在地の土豪に二俣城への調略を命じ、11月には二俣城攻めを開始します。家康方にあった二俣城は、よく抵抗したものの、天竜川から汲み上げていた水の手を断たれ、開城します。

二俣城を手中に収めた信玄は、天竜川を越えて西へと進軍し、12月22日には、三方ヶ原の戦いで家康に大勝、刑部砦(北区細江町中川)にて越年します。しかし、野田城(愛知県新城市)攻めの頃より体調が悪化し、甲斐へ引き返す途中の元亀4年(1573)4月に駒場(長野県下伊那郡阿智村)で病死したとされています。

信玄の死後、巻き返しを図る家康は、何度かにわたって二俣城攻めを行います。そして、天正3年(1575)の長篠の戦いを信長との連合軍で武田軍に大勝すると、余勢を駆って鳥羽山城(天竜区二俣町二俣)に本陣を置き、周囲に毘沙門堂砦・蜷原砦・和田ヶ島砦を築いて二俣城を包囲、奪還します。
二俣は古くから水陸の交通の要衝であり、遠江を支配する上で重要な地であったと考えられます。二俣城をめぐる一連の激しい攻防戦の様子からも、信玄と家康が二俣の地を重視していたことがうかがえます。

編集後記

文化財課では、文化財にかかわる講座や討論会、講演会を開催しています。発掘調査の成果や、家康に関するものなど、内容は様々です。最新の情報はHPに掲載していきますので、ぜひ興味があるものに足を運んでみてください。(Y)

 

 

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浜松市役所市民部文化財課

〒430-8652 浜松市中区元城町103-2

電話番号:053-457-2466

ファクス番号:053-457-2563

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