ここから本文です。

更新日:2015年10月16日

浜松市文化財情報vol.93

平成27年10月15日発行

松下屋敷 発掘調査を実施しました!

松下屋敷は、戦国時代の武将、松下氏の館跡と伝わる場所で、「頭陀寺城(ずだじじょう)」とも呼ばれていました。屋敷の北側には8世紀初頭の創建と伝わる頭陀寺があり、中世にはこの地区にあった荘園、川匂荘(かわわのしょう:河輪地区・芳川地区~磐田市竜洋町)の経営にもかかわっていました。政治経済の中枢地に軍事勢力が拠点を設けたといえ、頭陀寺と松下屋敷の密接な関係がうかがえます。
松下屋敷とその周辺では戦後に区画整理が実施され、戦国時代の景観は失われましたが、絵図・文献などの古記録や地籍図などから当時の状況をうかがい知ることができます(A)。
A松下屋敷跡の構造<A松下屋敷跡の構造>

2001年には頭陀寺第一公園の東隣で浜松市が発掘調査し、15世紀の素焼きの皿が豊富に出土した庭園風の池や16世紀に焼失した建物の跡が確認されました。なお焼失した建物の上を整地し建物を再建している状況も確認できました。戦国時代の地域情勢が不安定な時期に頭陀寺城が焼失・再建されたという文献の記録と発掘調査の結果が合致し関連が想定されます。

2015年の調査成果

2015年9月、2001年調査地の西側に近接した頭陀寺第一公園内にある80cm程度盛り上がった部分で発掘調査を行いました。ここは、松下屋敷跡の北西角にあたる場所(頭陀寺第一公園内)で土塁があったと推定される場所です。この調査の結果、公園内の地形の高まりの一部が土塁であることが確認でき、土塁は当時の地表面から土を1m以上盛り上げて造られていることがわかりました。公園内の北東部の起伏は、松下屋敷の様子を今に伝える数少ない場所のひとつといえます(B)。

B現地に残る土塁の痕跡と発掘調査風景<B現地に残る土塁の痕跡と発掘調査風景>
また、土塁の東側には2001年の調査で検出された火災の痕跡と同時期のものと捉えられる焼けた土や炭を多く含む土の層が確認できました。地中には、戦国時代の松下屋敷の様相に迫る資料が豊富に埋もれていることが判明しました。文化財課では発掘調査結果などの検討を行い、松下屋敷が持つ歴史情報の公開と活用を進めていきます。

松下氏とは

松下氏は、今川氏、徳川氏、豊臣氏に仕えた戦国武将です。織田信長に仕える前の豊臣秀吉が松下家の当主、松下之綱(ゆきつな)に一時奉公したという伝承があり、周辺には秀吉が鎌を研いだと伝わる「鎌砥池(かまとぎいけ)」が知られています。徳川家康が遠江を領有した際に、松下之綱は家康の配下となり、秀吉が天下を治めた後には袋井市の久野城主に取り立てられました。

松下之綱の義兄弟・松下清景(きよかげ)は幼き日の井伊直政(虎松)を養子に迎えています。当時の井伊家は男性の系譜が途絶える危機にあり、虎松の後見人であった女性地頭、井伊直虎(次郎法師)を中心に再興を期していました。天正3年(1575)、井伊直政は「松下虎松」として徳川家康にお目見えし、以後、出世の道を歩むことになります。松下清景は井伊家存続にかかわる影の功労者といえるでしょう。

「いせきのおしごと体験」を博物館で開催しました

 腰をかがめて測量だ!<腰をかがめて 測量だ!>

去る8月9日、浜松市博物館において、発掘調査速報展「浜松の遺跡2009 -2014」関連イベント「いせきのおしごと体験」を開催しました。遺跡発掘の仕事には、たくさんの工程がありますが、今回は、その中の四つのおしごとを体験していただきました。一つめは、土器の発掘体験です。砂に埋められた弥生土器や須恵器を、刷毛や竹べらを使って発掘します。土器を傷つけないように慎重に掘らなければならないので、みなさん真剣に探していました。見つけた時は「あったー!」と笑顔がこぼれ、全部見つけると博物館の職員から、この土器はどれくらい前に作られて、どのように使われていたのかなど説明を受けました。二つめは、測量体験です。実際の測量機械を使って、地面の高さを測りました。この機械を使うと、遺跡の標高がわかります。

慎重に 土器の接合にも挑戦!<慎重に 土器の実測にも挑戦!>

三つめは土器の接合体験です。本物の土器を触るのは初めてというお子さんも、土器の色や模様をよく観察して、接合できる土器を探しました。親子で楽しそうに接合する姿も見られました。四つめは、土器の実測体験です。マコ、ディバイダ―、キャリパーなど実際に実測する時に使う道具で土器を測り、方眼紙に土器の実測図を描きました。難しい作業ですが、熱心に取り組む小学生もいました。また、折り紙でハニワを折るコーナーもあり、夏休みの1日、多くの家族づれで賑わいました。

文化財日記抄 9月

1日(火曜日)、南区高塚町、高塚遺跡予備調査工事
7日(月曜日)、南区頭陀寺町、松下屋敷内容確認調査(~9月18日)
7日(月曜日)、東区和田町、木船廃寺遺跡予備調査
7日(月曜日)、市役所、インターン受け入れ(~9月18日)
11日(金曜日)、中区元浜町、旧引馬宿推定地予備調査
11日(金曜日)、天竜区山東、光明山古墳群工事立会
12日(土曜日)、南区頭陀寺町、松下屋敷現地説明会(参加231名)
14日(月曜日)、南区頭陀寺町、松下屋敷発掘体験と見学(芳川北小6年 参加106名)
14日(月曜日)、浜北区宮口、大屋敷古窯群予備調査
14日(月曜日)、北区引佐町、展示「浜松の遺跡2009-2014 inいなさ」開始(~12月11日)
15日(火曜日)、南区三和町、三和町村前遺跡予備調査
18日(金曜日)、浜北区於呂、芝本遺跡予備調査

20日(日曜日)、中区元城町、浜松城跡予備調査(~9月21日)
22日(火曜日)、天竜区春野町、日本刀入門公開講座(参加59名)
23日(水曜日)北区細江町、東林寺山門保存修理完了落慶式
24日(木曜日)、北区引佐町、北区協議会埋蔵文化財事務所展示室見学
24日(木曜日)、中区西伊場町、三永遺跡予備調査
24日(木曜日)、天竜区山東、光明山古墳群工事立会
25日(金曜日)、北区引佐町、光明山古墳群工事立会
28日(月曜日)、天竜区二俣町、二俣城跡内容確認調査(~10月30日)

28日(月曜日)、西区呉松町、仲平遺跡予備調査(~10月6日)
28日(月曜日)、浜北区平口、巳ノ山古墳工事立会
29日(火曜日)、天竜区山東、光明山古墳群工事立会
30日(水曜日)、東区中郡町、万斛西遺跡予備調査

文化財イベント

川合花の舞、午後3時~翌朝、八坂神社(天竜区佐久間町川合)、県指定無形民俗文化財「川合花の舞」

家康400年忌文化財めぐり 浜松城主徳川家康 武田の遠州攻め3. 仏坂古戦場、伊平小屋城、只来城、光明城

元亀3年(1572)10月、本拠地の甲斐(山梨県)を出発した武田氏は、調略と武力を駆使し、駿河と信濃の2方向から徳川家康が領有した遠江へと軍を進めました。

信濃から遠江へと進出を図った武田軍の一部は、国境の峠を越え、伊平・井伊谷(北区引佐町)を通って二俣城(天竜区二俣町)へと向かいます。この過程で、北区引佐町の「仏坂」や「伊平小屋」で徳川方の武将・鈴木重好らとの戦いが起こりました。

また、信遠国境に近い犬居城を拠点にしていた天野氏は、武田氏の南下に伴い、武田氏の配下になり、光明城や只来城の攻略に力を発揮しました。

旧光明寺の石垣<旧光明寺の石垣>

光明城は、今川氏が遠江を領有したころに整備された城郭で、武田氏が領有した際にも、秋葉街道に近く戦略的に重要な場所と認識され、常に城に兵士が配置されていました。天正年間に、徳川氏が二俣城などとともに光明城を攻め落とし、遠江支配を盤石なものにすると廃城になり、曹洞宗の禅寺が建てられました。1931年、火災により現在の光明寺の場所に移転しましたが、現地には石垣がのこり、遠州灘を臨む壮大な眺望とともに当時の面影を今に伝えています。

光明城からの眺望<光明城からの眺望>

編集後記

すすきたなびく秋となりました。朝晩の冷え込みがますます深まっていき、三遠南信地域一帯では霜月祭りが始まります。しっかりと防寒対策をして足を運んでみるのもいかがでしょうか。(O)

 

 

このページのよくある質問

よくある質問の一覧を見る

お問い合わせ

浜松市役所市民部文化財課

〒430-8652 浜松市中区元城町103-2

電話番号:053-457-2466

ファクス番号:053-457-2563

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?