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更新日:2015年8月14日

浜松市文化財情報vol.91

平成27年8月15日発行

旧田代家住宅が国の登録有形文化財に!

天竜区 旧田代家住宅 建造物2棟が新登録となります

先の7月17日に、国の文化審議会文化財分科会は、天竜区二俣町に残る「旧田代家住宅主屋」と「旧田代家住宅土蔵」の2棟を国の登録有形文化財として登録するよう、文部科学大臣に答申しました。これにより、近日中の官報告示を経て、正式に登録される予定です。浜松市内の国登録有形文化財(建造物)は46件となります。天竜区では、本年3月のヤマタケの蔵3棟に続く国登録です。年末年始を除く土曜日・日曜日・祝日の午前10時~午後4時に一般公開しておりますので、この機会にぜひご見学ください。

鹿島の田代家とは?

鹿島の田代家は、江戸時代には北鹿島村の名主と渡船場船越頭(ふなこしがしら)を務め、鹿島拾分一番所(幕府が天竜川を上下する舟・筏の貨物に、貨物価格の十分の一の税を課した役所)の役人や請負をしていたこともありました。天竜川筏の受け継ぎ問屋も経営し大変繁栄した家です。田代家10代の田代嘉平次は初代二俣町長を務めたほか、嘉平次の三女・きしは市指定文化財 旧浜松銀行協会の設計をした中村與資平に嫁いでいます。また、小説『ビルマの竪琴』の作者竹山道雄の母は、嘉平次の次女です。

天竜川舟運の繁栄を今に伝える旧田代家住宅

今回登録される主屋と土蔵の概要は次のとおりです。
【主屋】木造2階建、切妻造瓦葺、安政6年
【土蔵】土蔵造2階建、切妻造瓦葺、昭和前期

旧田代家住宅主屋<旧田代家住宅主屋> 撮影:中谷悟(静岡県文化財建造物監理士)

旧田代家住宅主屋 土間から店の間方向<旧田代家住宅主屋 土間から店の間方向> 撮影:中谷悟(静岡県文化財建造物監理士)
主屋は敷地の中央に建ち、南に面して東西方向に長い棟を持っています。軒は、上下階の何れも桁が壁の外に長く伸びる出桁造です。1階は東側に土間があり、その西側に座敷や応接の間など6間がとられており、土間との間に大黒柱があります。

旧田代家住宅土蔵<旧田代家住宅主屋 土間から店の間方向> 撮影:中谷悟(静岡県文化財建造物監理士)

2階には、建物の形を整えるために、部屋が無いにもかかわらず外部からはあたかも部屋があるかのように見える造りの部分があります。全体として舟運による繁栄を伝える大型民家といえます。
<旧田代家住宅土蔵>撮影:中谷悟(静岡県文化財建造物監理士)

土蔵は、敷地の南東隅に建っています。外壁は漆喰塗りで水切りが付き、腰は海鼠壁で戸口と小窓に庇が付いています。道具蔵として用いられていたようです。

旧田代家住宅のご案内

住所:浜松市天竜区二俣町鹿島489

公開:年末年始を除く土・日・祝日午前10時~午後4時

交通:遠州鉄道バス山東行[西鹿島駅]乗車約5分→[鹿島橋]下車徒歩約3分

駐車場:3台

料金:無料

発掘調査速報展 浜松の遺跡2009~2014 間もなく終了

近年の新発見の出土品と最新の調査成果を一挙公開!

雌雄の鹿形埴輪頭部(郷ヶ平6号墳)<雌雄の鹿形埴輪頭部(郷ヶ平6号墳)>

今回の展示では、2009年~2014年の発掘調査で得られた多数の出土品から、厳選した約300点を展示しています。縄文時代から江戸時代に至るまでの幅広い年代の資料を展示していますが、注目すべき資料としては、鹿の絵が刻まれた弥生土器(梶子遺跡)、古墳に立てられていた馬や鹿、人など多種多様な形象埴輪(狐塚古墳、郷ヶ平古墳群)、古代の寺院に葺かれていたとみられる瓦(木船廃寺跡、楠木遺
跡)、墨書土器や木簡、硯、銅印など古代の役所に関係する遺物(松東遺跡など)が挙げられます。

ギャラリートークの様子<ギャラリートークの様子>

関連行事として、7月26日(日曜日)にはギャラリートーク、8月9日(日曜日)には発掘調査報告会と発掘体験などのイベントが開催され、多くの方にご来場いただきました。また展示会場内には小学生の自由研究向けに、発掘調査がどのように行われているのかを紹介したパネルや、市内全域の文化財分布図なども表示しています。

会期もあとわずかとなりました。近年の主要な出土品を一堂にご覧いただけるまたとない機会ですので、ご興味のある方はぜひご来場ください。

【速報展のご案内】
会期:平成27年7月25日(土曜日)~8月30日(日曜日)
会場:浜松市博物館特別展展示室(中区蜆塚)
時間:午前9時~午後5時
観覧料:大人300円(高校生150円)、中学生以下無料、団体割引等あり
交通:JR浜松駅バスターミナル2番ポールから遠鉄バス蜆塚。佐鳴台行乗車[博物館]下車

問合せ:浜松市市民部文化財課
電話053-457-2466
FAX053-457-2563

文化財日記抄 7月

2日(木曜日)、浜北区宮口、新屋遺跡予備調査
2日(木曜日)、浜北区於呂、東原遺跡予備調査・芝本遺跡予備調査
7日(火曜日)、東区将監町、将監名遺跡予備調査
8日(水曜日)、西区庄内町、宿蘆寺の石塔倒壊(臨時対応)
9日(木曜日)、中区西伊場町、三永遺跡予備調査
10日(金曜日)、中区元城町、出前講座「浜松市の遺跡発掘」(参加43名)

10日(金曜日)、中区葵東1丁目、出前講座北部あおい学級(参加20名)
15日(水曜日)、天竜区熊、ヒラシロ遺跡現地確認
21日(火曜日)、南区飯田町、寺西遺跡工事立会
21日(火曜日)、中区南伊場町、梶子遺跡工事立会
26日(日曜日)、中区蜆塚、速報展ギャラリートーク(参加35名)
27日(月曜日)、北区引佐町金指、金指陣屋跡予備調査~7月28日
27日(月曜日)、浜北区於呂、上海土遺跡予備調査
27日(月曜日)、北区引佐町井伊谷、谷下ワニ展示ギャラリートーク(ヤゲワニ研究会)~7月28日(参加100名)
30日(木曜日)、中区南伊場町、梶子遺跡工事立会
31日(金曜日)、中区元城町、第1回文化財保護審議会
31日(金曜日)、浜北区於呂、芝本遺跡工事立会

家康400年忌文化財めぐり 浜松城主徳川家康 武田の遠州攻め1. 青崩峠 兵越峠 高根城

元亀3年(1572)10月、武田信玄は長年の懸案であった遠江、三河、美濃への軍事侵攻を果たすべく、甲府を発ちました。 同年12月の三方ヶ原の戦いに至るこの作戦は兵力2万を超える大規模なもので、信玄軍本隊のほか別働隊が分かれて西を目指しました。信玄軍本隊の侵攻経路にはいくつかの説があります。現在、多くの研究者が支持するのは、駿河から大井川を越えて遠江に入ったという考えです。一方、この説が有力になる前には、信濃から国境の峠を超えて北遠地域に進んだルートをたどったとみる考えが主流でした。青崩峠(天竜区水窪町、静岡県指定史跡)は、信州街道(秋葉街道)の難所で、標高1082m。古来から遠江と信濃を繋ぐ要衝の地として知られています。北方からの侵攻ルートを想定する場合、多くは信玄本隊は青崩峠を通過して遠江に入ったと説明されます。また、狭くて急峻な青崩峠を避けて、東側のヒョー越(兵越)峠を使ったとの説もあります。国境の峠をこえて遠江領内に入ると水窪のまちに至ります。

高根城(天竜区水窪町、浜松市指定史跡)は、北遠の地を治めた豪族、奥山氏が築いたと考えられる山城。水窪のまちを一望できる標高420mの山頂にあります。

高根城<高根城>

国境の守りの要として、元亀3年の作戦時には、武田軍の前線基地として活用されたとみてよいでしょう。現在、発掘調査で得られた情報をもとに城壁や木柵、井楼櫓(せいろうやぐら)などが再現され、戦国時代の山城の姿が体感できる整備がなされています。

編集後記

発掘調査速報展「浜松の遺跡2009~2014」を浜松市博物館で開催しています。縄文時代から近世まで、多種多様な遺物が展示されています。遺物を間近に、先人のいとなみを感じていただければと思います。(T)

 

 

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浜松市役所市民部文化財課

〒430-8652 浜松市中区元城町103-2

電話番号:053-457-2466

ファクス番号:053-457-2563

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