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更新日:2015年5月15日

浜松市文化財情報vol.88

平成27年5月15日発行

浜松のお祭り情報満載! ウエブページ「浜松おまつり暦」はじめました

ウエブサイト メイン画面<浜松おまつり暦 メイン画面>

自然に恵まれた浜松市は、四季の移ろいが美しいまちです。祭りは、四季の変化に応じた生活の中から生まれ、私たちの生活の一部となり、地域の人々を結びつけ、今日に伝えられてきました。本市の中山間地域には、ひよんどり・おくない・神楽・田楽などの特徴的な民俗芸能が伝承されており、それらは貴重な伝統文化(民俗芸能)として全国的にも高く注目・評価されています。また、それらで使用される個性的なお面の数々は、本市の祭りの特色の一つとなっています。

一方、人々が豊かな生活を送るための楽しみや、地域のにぎわいの創出や発展を目的として開催されるイベント(催し物)もあり、これらも祭りの類いと考えることができます。本市でも、各地域・各所でイベントや産業祭などが一年を通じて数多く開催されています。

「あったらいいな」→「できた!」

これまで市内の祭りに関する情報については、個別、もしくは、「区」・「観光」・「文化財」などのカテゴリーごとにまとめられて情報が紹介されることが多く、年間の祭り情報が一覧できるものがありませんでした。

静岡大学情報学部・杉山岳弘研究室と文化財課では、浜松の祭りの魅力を市内外に広く伝えることを目的に、また、市内の無形民俗文化財のアーカイブ化とインターネットでの公開により民俗芸能(文化財)の継承につなげることを目標として、昨年10月から連携プロジェクトとして、市内の祭り情報を一覧できるウェブページ(ホームページ)の製作を進めてきました。この度、そのウェブページ「浜松おまつり暦(はままつおまつりごよみ)」が完成し、4月17日(金曜日)からインターネット上で公開を始めました。

充実の内容

この「浜松おまつり暦」は、文化財課が確認していた情報をもとに、静岡大学情報学部の学生自らが取材・収集した祭りのデータを掲載し、また、無形民俗文化財や伝統的な祭りを中心に、市民イベントまで幅広く掲載しているのが特徴です。

主な機能(2015年4月17日現在)
【カレンダー】(市内の年間の様々な祭りを一目で見ることができます。データ数:525件)、【映像館】(祭りの臨場感を感じていただける1分程度の映像を掲載しています。データ数:5件・22本)、【お面館】(市内の民俗芸能で使用される多彩なお面の画像を掲載しています。データ数:69点)

ウエブサイト カレンダー画面<ウエブページ カレンダー>

ウエブサイト 詳細説明画面<ウエブページ 詳細解説画面>

今後も追加取材などを継続して、コンテンツの充実化を図り、浜松の祭りの魅力を国内外に発信できるウェブページへと発展させていきます。ご期待ください。

URL : http://www.hama365.info/matsuri/(または、「浜松おまつり暦」で検索)
※浜松市公式ウェブサイトからもリンクしています

新指定 国宝重要文化財展で展示されました!― 岩水寺 木造地蔵菩薩立像像内納入品 ―

東京国立博物館入口 看板<東京国立博物館 入口>

二つの特別展看板の間に挟まれて、ありました「平成27年新指定国宝重要文化財」展の看板が。会場は本館第8室、第11室。

平成27年新指定 国宝重要文化財展看板<看板>

市内浜北区の岩水寺には、平成23年度に重要文化財に指定された木造地蔵菩薩立像が、秘仏として安置されています。像高165.3センチメートルの等身大で、檜材の寄木造り、玉眼で、裸形に実物の着衣をまとわせる、いわゆる裸形着装像(らぎょうちゃくそうぞう)です。

平成24年度から2ヵ年にわたり保存修理を実施した際に、頭部をはずして内部を確認したところ、像内から造像記や願文、横笛などの納入品が発見されました。この結果、建保5(1217)年に京都の六波羅蜜寺で慶派の有力仏師の一人、運覚により造立されたことが分かり、像内納入品史上重要な発見となりました。この3月には国の文化審議会で17種34点の附指定が答申され、4月末から「平成27年新指定国宝重要文化財」展に出陳され、造像記、願文、扇、横笛、宋銭が紹介されました。*展示は終了しています。

文化財日記抄4月

2日、(木曜日)、中区和合町、権現谷遺跡予備調査

9日、(木曜日)、西区志都呂町、志都呂町中村遺跡予備調査

22日、(水曜日)、北区細江町、石岡遺跡本調査

25日、(土曜日)、中区元城町、400年祭中間セレモニー、引間城出土品出陳(参加400名)

新人から ひ・と・こ・と

新人<文化財課の新人>

市内の文化財の問合せや手続きについて、市民の方に的確にお答えできるよう努力します。

家康400年忌文化財めぐり 浜松城主 徳川家康「家康、遠州に入る2.」

上空から見た猪鼻湖付近<上空から見た猪鼻湖付近>

写真 手前の猪鼻湖に突き出た小半島に佐久城は立地する。奥の小半島には佐久城に代わって築かれた野地城が存在する。

永禄11年(1568)、井伊谷三人衆の手引きにより、遠州入りをはたした徳川家康は、引間を拠点とします。しかしながら浜名湖北岸地域には、依然として今川方に味方し、家康に抵抗する勢力がありました。そのひとつが佐久城主の浜名氏です。浜名氏は、代々猪鼻湖一帯(現在の北区三ヶ日町一帯)を治めて来た領主で、室町幕府の奉公衆としても活躍しています。

家康は佐久城攻めのための兵を送り、城の北側の大明神山に陣を構えさせます。浜名氏も佐久城に籠城し、家康の侵攻に抵抗しますが、永禄12年(1569)2月、城主浜名頼広が甲州に逃れ、佐久城は降伏開城しました。ほぼ時を同じくして日比沢城、堀川城など浜名湖北岸の今川方の城も次々と落城し、浜名湖北岸地域は家康の支配下となりました。

こうした戦いを経て、浜名湖北岸地域を平定した家康は、遠州地方の支配をより確実なものとしていき、拠点で
ある引間の城と城下の拡張に着手します。

編集後記

遺跡の発掘作業にしているとよく通りかかった人に「小判でも出るの?」と聞かれますが、残念ながら小判が出てきた事はありません。場所によっては遺構も遺物も出ない時がありますが、何も出なかったという事実もまた遺跡の範囲を確定する為には大切な事なのです。(K)

 

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お問い合わせ

浜松市役所市民部文化財課

〒430-8652 浜松市中央区元城町103-2

電話番号:053-457-2466

ファクス番号:053-457-2563

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