緊急情報
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更新日:2014年9月12日
平成26年9月15日発行
<元城町東照宮 平場全景>
徳川家康公が亡くなって400年の遠忌が2015年にめぐってきます。この年に合わせて、徳川家康公と関わりの深い岡崎・浜松・静岡などの都市では、さまざまな顕彰事業が計画されています。浜松市文化財課では、青年時代の家康公が居城とした引馬城の一部において発掘調査を行い、徳川家康公との関わりや引馬城跡の歴史を明らかにしようと考えました。引馬城跡での発掘調査は初めてであるため、土塁や建物跡などの遺構の残り具合やその深さ、土器などの埋蔵状況を確認するために発掘調査を行いました。
<土塁の様子> 長方形の穴の奥に細かく積み上げられた地層が見える
発掘調査により、土塁(城の周囲を取り囲む防御施設)が良好に遺っていることが判明しました。また、土塁に囲まれた内側(元城町東照宮境内の平場)には、今から約400~450年前(戦国時代~安土桃山時代)に使用された土器が数多く出土しました。とくに現在の地表から約50cm下には、捨てられた状態を保って複数の土器が埋蔵されていることが判明しました(右段写真)。これらのことから、江戸時代の絵図に示された「古城」という地区が戦国時代~安土桃山時代には城であったことが、発掘調査により確認できました。このほか、現在の地表から10cm下からは、明治時代に創建された元城町東照宮に用いられたとみられる三ツ葉葵の紋が施された瓦が出土したほか、陶磁器やガラス瓶、ビー玉も出土しました。信仰の場であるとともに、日常生活の場や子供たちの遊び場としても親しまれていた証拠といえるでしょう。今後、出土した土器や陶器、作成した記録などを整理し、分析を進めたのち、市民のみなさまにお披露目する機会を設けたいと考えています。
<かわらけ出土の様子>
発掘調査を行うなかで、子供たちに歴史とふれあう機会を提供し、地域の歴史に興味をもってもらうことを目的として、8月8日・11日に小学生を対象として発掘体験を行いました。あわせて25人の子供たちが参加し、引馬城や浜松城について学ぶとともに、竹ベラやハケなどを使って、戦国時代のかわらけや陶器、近代の瓦を発掘し、歴史の証拠を自分で掘り出す体験をしました。この中から、歴史に興味を持つ子や地域の歴史を大切にしたいと思う子がひとりでも多くうまれたらと思います。
8月17日(日曜日)に行った現地説明会には、午前の部・午後の部合わせて350人の方にお越しいただきました。また、調査中に見学にお越しいただいた方も150人を超えました。引馬城跡に対する関心の高さを実感できる発掘調査となりました。浜松市文化財課では今後も、現地説明会や体験講座などを行い、市民のみなさまに歴史とふれあえる機会を提供していきます。広報等にご注目ください。
昭和59年に開館した賀茂真淵記念館は、本年11月に開館30周年を迎えます。これを記念した特別展では開館以来収集してきた館蔵品6千点余の中から学術的価値が極めて高い選りすぐりの名品47点を展示し、賀茂真淵と遠江国学者の生涯と業績を紹介します。展示は、遠江国学の隆盛をもたらした地の利・人の縁を軸に、国学研究の流れに沿って展示してあります。『万葉』研究の方法を示す「和歌懐紙“詠薄暮千鳥”」、研究の深化発展をたどる『遠江歌考』『冠辞考』『万葉考』の展示は圧巻です。真淵画像掛軸4本の一挙展示、初展示の「真淵賛真龍画秋景図」等も必見です。加えて、観覧の理解が深まると好評をいただいている写真パネル「真淵ゆかりの地」「遠江の歌碑」や解説資料「今月の歌」「一口解説」等も豊富に整えられています。見どころ満載の特別展、ご家族おそろいでご来館いただき、時を超えて今国学の呼びかけるものに耳を傾けてみませんか。
<賀茂真淵と遠江国学>ちらし
8月には、次のような調査活動等を行いました。
1日(金曜日)、浜北区貴布祢、市民ミュージアム浜北プチ企画展「Kawaii!」(~31日)
2日(土曜日)、浜北区貴布祢、文化財楽習プログラム「シカのはにわがにげだした!」
4日(月曜日)、東区丸塚町、早折遺跡予備調査
4日(月曜日)、南区高塚町、高塚遺跡予備調査
6日(水曜日)、浜松市役所、文化財保護審議会
8日(金曜日)、中区元城町、引馬城跡発掘体験(参加80名)
9日(土曜日)、北区引佐町、いなさ文化財まつり(会場:埋蔵文化財調査事務所)
11日(月曜日)北区細江町、東林寺檀家見学会
11日(月曜日)、中区元城町、引馬城跡体験発掘(参加9名)
11日(月曜日)、中区中島、出前講座「浜松の指定文化財」(参加23名)
12日(火曜日)、浜北区平口、辺田平古墳群隣接地予備調査(~14日)
17日(日曜日)、中区元城町、引馬城跡現地説明会(参加350名)
お城も民俗芸能も 熱気 むんむん むんむん
~この記事は、浜松市メールマガジンとリンクしています~
浜松市域では、明治から昭和前半にかけて、線路の幅(軌道)が狭く、建設費用の安い軽便鉄道が数多く開業しました。今回は、中ノ町線〔浜松・中ノ町間〕、笠井線〔遠州西ヶ崎・
笠井間〕、西遠軌道〔貴布祢(現在の遠鉄浜北駅)・宮口間〕、鹿島線〔浜松・西鹿島間〕を紹介します。また、軌道が広く大量輸送が可能な高速電気鉄道として敷設された光明電気鉄道〔新中泉(現在のJR磐田駅)・二俣町間〕についても触れたいと思います。
<西遠軌道廃線跡>
中ノ町線は遠州初の軽便鉄道として運行を始めましたが、現在では笠井線とともに、標柱や当時の写真などからその姿を窺い知ることができるのみです。西遠軌道は、軌道の一部を踏襲した道路が浜北区内にあり、「軽便道」や「軌道橋」といった名称に名残がみられます。鹿島線は軽便鉄道として開業し、旅客や貨物の増加に伴い高速電気鉄道に改修され、現在は遠州鉄道西鹿島線として運行を続けています。光明電気鉄道は、高速電気鉄道として全線開通してからわずか7年で廃線を迎えましたが、阿蔵トンネルや二俣口駅のプラットホームなどが当時の面影を伝えています。
<阿蔵トンネル>
<二俣口駅のプラットホーム>
明治から昭和前期に敷設された鉄道のほとんどは姿を消してしまいましたが、軌道跡やトンネル跡など、当時の情景を伝える遺構をめぐり、浜松の近代化と交通手段のうつろいに思いをはせてみてはいかがでしょうか。
8月の引馬城跡に続いて、9月から二俣城跡の発掘調査が始まりました。今回も発掘体験や現地説明会がありますのでお楽しみに!27日には城跡セミナー、11月には犬居城にて戦国山城まつりが開催されます。季節は秋になりましたが、まだまだお城はあつい!! (ふ)
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