緊急情報

サイト内を検索

ここから本文です。

更新日:2016年5月16日

浜松市文化財情報vol.100

平成28年5月15日発行

「浜松市民俗芸能の継承及び振興に関する条例」が制定されました!

条例の概要

 去る3月24日、平成28年第1回市議会定例会本会議において、無形民俗文化財の継承と活用にかかわる新たな条例「浜松市民俗芸能の継承及び振興に関する条例」が議員提案として発議され、全会一致で可決し制定されました。民俗芸能の継承をうたった条例は全国的にも珍しく、地域の文化遺産を大切にする市民の想いが結実した条例です。
 本条例は、市民、関係団体、市が互いに連携し、連綿と受け継がれてきた民俗芸能を守り、担い手となる人材の育成を推進し、将来の世代に引き継いでいくことを明確にしています。そして、これらの取り組みを総合的に進めることで、心豊かで潤いのある市民生活や活力ある地域社会の実現に寄与することを目的としています。

◆市民の役割
 民俗芸能について、理解と関心を深めるとともに、その振興に配慮するよう努めるものとしています。

◆関係団体の役割
 民俗芸能の活動にかかわる団体は、その知識や技能の継承、振興発展に主体的に取り組み、その取り組みにあたっては、市及び他の関係団体と相互に協力するよう努めるとしています。

◆市の役割
 民俗芸能の振興にかかる事業を実施するとともに、次世代を担う人材を育成する取り組みに対して支援するなど、必要な措置を講じるよう努めるとしています。
 なお、本条例は、4月1日から施行されており、後継者育成活動や普及啓発事業等、基本理念に基づいた様々な取り組みが進められています。

横尾歌舞伎<県指定無形民俗文化財 横尾歌舞伎>

民俗芸能の一例 犬居つなん曳

 さて、今月5日のこどもの日、市内指定文化財のトップを切って、天竜区春野町に伝承されている市指定無形民俗文化財「犬居つなん曳」が行われました。「犬居つなん曳」は、過去の自然災害がその起源となっており、洪水へのおそれから祭礼がはじまったといわれています。気田川の洪水で村の堤防が決壊寸前のとき、氏神である諏訪の祭神が大蛇となって横たわり、村を守ったとの言い伝えが残されています。主な行事としては、気田川流域に生息している柳・笹竹・ヨシ・レンゲで作られた巨大な蛇体を街道沿いにひき回し、最後は橋上から気田川に投げ入れます。自然災害という地域の危機的状況に対応する姿勢が、地域の“絆”を一層強固なものとし、現在まで祭礼というかたちで伝承されています。

犬居つなん曳<市指定無形民俗文化財 犬居つなん曳>

 

シンポジウム「発掘が語る はままつの古代寺院」を開催しました!

展示風景(古代寺院)<展示風景>

 3月28日から4月28日までの1ヶ月間、企画展示「発掘が語る はままつの古代寺院」を引佐健康文化センター2階の保存展示コーナーで開催しました。この展示では、浜松に仏教が伝わり、普及していった飛鳥時代の終わりごろ(約1300年前:白鳳時代)から平安時代(約1100年前)の仏教に関わる資料について瓦を中心に紹介しました。開催中には、のべ150人ほどの方にご観覧いただきました。
 古代の屋根瓦は1枚1枚が重く、頑丈な基礎と建物の構造が必要なため、瓦を葺く建物は、寺院や宮殿などに限られていました。私たちの生活には、なじみの深い瓦葺きの屋根ですが、民家で広く用いられるようになるのは、日本列島に瓦が伝わってから1000年以上経った江戸時代中頃のことでした。この過程には、瓦の製作技法の変化や軽量化、葺き方の工夫など様々な技術革新がありました。
 私たちの生活の身近にある瓦ひとつをとっても、歴史があり、変容しながら現在へと繋がっていることが感じられます。
 皆さんの目に触れる展示品のなかには、普段で何気なく通り過ぎている場所から発掘されたものが多くあります。文化財課では今後も、地域の埋もれた歴史を紹介し、過去と現在のつながりを感じられるような場を設けていきます。

文化財日記抄 4月

1日 (金曜日) 浜松市民俗芸能の継承及び振興に関する条例 施行
8日 (金曜日) 北区三ヶ日町都筑 野地遺跡予備調査
13日 (水曜日) 北区引佐町金指 実相寺建造物調査立会い
18日 (月曜日) 中区領家 馬領家遺跡予備調査
25日 (月曜日) 南区若林町 若林町村西遺跡予備調査

文化財イベント

 ▶ 渋川つつじ祭り
 県指定天然記念物「シブカワツツジ群落」の指定地域である渋川つつじ公園で、渋川つつじ祭りが行われます。
 5月14日(土曜日)~29日(日曜日)
 渋川つつじ公園 【住所】北区引佐町渋川97-4

井伊谷周辺のオススメ文化財スポット 井伊谷城 井伊氏の居城 ~城主たちが見た景色~

 井伊谷城(市指定史跡)は井伊氏の居城と言われており、三岳城(前号で紹介)同様、後醍醐天皇の皇子である宗良親王にゆかりのある山城です。
 現在の井伊谷城は、標高約115mのしろやま城山の山頂部に虎口と二段になった本くるわ曲輪(本丸)が残るのみですが、江戸時代の『礎石伝』によると、井伊谷城は本丸・二の丸・三の丸という三つの曲輪からなっていたという記述があります。また、本丸は東西が壱町半余(約164m)、南北が弐町半余(約273m)という記述もあり、これは現在の本曲輪よりもかなり大きい(広い)ことになります。例えば、その範囲を地図(地形図など)に落として現地を見ていただくと、視覚的にも違いがわかると思います。さらに、二の丸と三の丸もあったことを考えると、まさに「山全体が城だった」と言えるでしょう。
 井伊谷城は城山公園として整備されており、展望台からは井伊谷のまちが一望できます。そこに立った人だけが味わえる感動的な景色は、四季折々でその装いを変えていきます。
 余談ですが、地図上で井伊谷城と三岳城を結ぶと、その延長線付近には史跡や遺跡をはじめ文化財が数多く分布していて興味深いです。
【おすすめポイント】
☑城主気分が満喫できる眺め
☑お散歩感覚で登れる山城
☑地図で楽しみアップ!

井伊谷城本曲輪<井伊谷城本曲輪 一段高い部分(北側)には自然の地形が残る。>
【アクセス】
 遠鉄バス「井伊谷」または「神宮寺」バス停から徒歩約15分
 引佐多目的センターの北

編集後記

一面でお伝えした新条例は、地域の文化遺産である民俗芸能を守り伝えていくために、市民の皆さまとともに一丸となって取り組んでいくことをうたっています。一人でも多くの皆さまが関心をお持ちいただければ幸いです。(T)

このページのよくある質問

よくある質問の一覧を見る

お問い合わせ

浜松市役所市民部文化財課

〒430-8652 浜松市中央区元城町103-2

電話番号:053-457-2466

ファクス番号:053-457-2563

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?