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更新日:2023年12月1日

第9回/はままつ百歳

1990年(平成2年)ごろ テクノポリス構想と銅鐸出土

「産」(先端技術産業)、「学」(研究施設、大学など)、「住」の調和のとれたまちづくりを目指す通商産業省(当時)のテクノポリス構想を受け、1982(昭和57)年、浜松地域テクノポリス構想の策定が始まりました。そして1984(昭和59)年、浜松地域テクノポリス開発計画が、テクノポリス法による国の承認を受けました。その後、1988(昭和63)年、浜北リサーチパークと細江テクノランドの造成完了、1990(平成2)年、細江テクノランドに16社の工場が完成、1991(平成3)年、都田地域テクノポリス造成完了、1993(平成5)年、都田地域テクノポリス進出予定企業68社の内45社が操業しました。1980年代の急速な景気の浮揚と、1990年代のバブル崩壊とその後の低迷のなかで、浜松テクノポリス構想は、地域の産業技術の高度化を推進してきたのです。

そのさなかの1987(昭和62)年、細江テクノランドと都田地域テクノポリスの予定地から、二つの銅鐸が出土しました。そして1990(平成2)年には、細江テクノランドの隣接地で、史上初めて“金属探知機”を使った調査により銅鐸が出土し、多くの注目を浴びました。


当時の様子を伝える「広報はままつ」
(第910号/1993年3月5日号)


1990年に出土した銅鐸(滝峯才四郎谷遺跡)

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