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更新日:2023年12月1日
1979年(昭和54年)10月15日、待望の東海道本線の高架化が完成しました。
それまで、市の中心街は東海道本線によって南北に分断され、増加する自動車交通量への対応が難しくなっていました。1976年(昭和51年)の調査によると、平田踏切では1日244回、合計10時間6分の遮断時間となり、「開かずの踏切」といわれるほどでした。
この問題に対して市、市議会、商工会議所などが中心となって高架化実現に向けて国や国鉄に運動や陳情を続けました。また、1967年(昭和42年)1月には18万人以上の市民の署名が集められ、市民運動にまで発展しました。
こうした運動が実り、1974年(昭和49年)から工事が始まりました。区間はおよそ5km、踏切の廃止は14カ所、新設の立体交差は29カ所におよびました。
高架化工事のために空いた地域と貨物駅跡の整備も進められ、1982年(昭和57年)には、浜松駅北口広場が完成。バスターミナル、地下広場と4本の地下道もできました。
また、この年の6月28日、市の人口が50万人を突破。記念式典を行い、市制施行から71年目での50万都市達成となりました。
人口50万人達成を祝う万歳三唱
1982 年(昭和57年)
浜松駅高架化完成を祝う記念列車
「開かずの踏切」といわれた平田(なめだ)踏切
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